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西の魔女が死んだ/梨木香歩 のつづき。

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梨木 香歩

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わたくしはこの話で一番作者が言いたいことというのは、おばあちゃんがまいを説得しているP138〜P140だと思います。
 「執着しない」
人というのは良くも悪くも執着します。そもそも思ったり考えたりという人の思考という行為のもとは、興味を持った事象・物事に意識のフォーカスを合わせる(意識を集中する)ことです。その度合いの強弱です。それが良い方向に働けば人が生きていく上での原動力になりますが、悪い方向に働けば固定観念や妄想となって疑惑や憎悪を引き起こします。思い出や記憶、思い入れ、感情移入など。感情移入も度が過ぎれば憎悪に転じます。執着してるということは以前紹介した『整体。〜』の本の表現で言うなら「対象(人・物事・事象)との間合いが近い」ということです。自分を対象に重ねすぎる(間合いが近い)ため、いわゆる視野がせまい、客観視できないということに陥り(おちいり)がちです。
これはわたくしがよく引き合いに出す『バシャール』にも書かれていることです。なのでわたくしはP138〜P140のおばあちゃんがまいに言っていることを読んで、「これはバシャールの言ってることと同じだな」と思ったのです。そう、魔女であるおばあちゃん=バシャール、まい=わたくしたち、と置き換えてもいいかもしれません。
しかし悟りを開いた人のように、わたくしたちは「執着しない」と言われてもなかなか簡単にはできません。思考のおおもとが意識の差はあれ執着と同じジャンルというかパワーですから。ただ集中「し過ぎない」ように、意識する力のコントロールの仕方を学んでいくしかありません。またはし過ぎてもそこでフっと一歩引いた目で客観視できるように。
この話でまいはゲンジという男の人に強い嫌悪感を抱きます。でも最終的にはある出来事がきっかけで、ゲンジを違う角度から見ることにより、抱き続けた嫌悪感も綻んで(ほころんで)いき、ゲンジへの認識が変わるのです。先入観や思いこみというのはわたくしたちが意識的・無意識的に刷り込まれている観念に沿って出てきます。それが自分にとって良い方向に働いている分には別段問題は無いでしょう。しかしこの話の文中に書かれているように「そういうエネルギーの動きは、ひどく人を疲れさせると思いませんか?」という、疲労感を伴うエネルギーの使い方では決して自分にとって良い方向に働いているとは言えません。
そういう自分を疲れさせる観念を変えるには、まいがこの話で経験したようにいったん他者(対象)から意識を外さなければいけません。少し意識を集中する力を弱める必要があります。それには何か出来事が起こったりきっかけがあれないいのですが。そうするといわゆる客観視が可能になり他者(対象)を違う角度から見ることができます。執着というのは、その物の見方にしがみ付いてるとイメージしてみてください。そのしがみ付いてる手を離すことで自分の身体の自由がきき移動することができる(違う視点を得られる)のです。その違う視点で見た他者(対象)の新たな情報が自分の今まで持っていた情報に「上書き」されます。ここで他者(対象)に対しての認識が変わりました。次からは他者(対象)に対して、新たな情報が加わったためその上書きされた新しい認識で見ることになります。これが「観念を変える」ということの流れです。わたくしたちは「執着をしない」ということができない以上、こういった「書き換え」が必要になります。
『バシャール』でも観念の変え方について触れています。バシャールが言うにはまず自分を否定する(自己否定)のが一番良くないとのことですので、湧いてしまった感情は打ち消さずに、例えば「ああ、今自分は怒ってるな」ととりあえず認めます。肯定するのです。へんに開き直ってもその場しのぎなため、結局は波の上下動が激しくなるだけで(開き直り→自己嫌悪の繰り返し)、おおもとの解決にはなっていないので、同じ場面に遭遇すればまた同じような感情が湧きあがるだけです。外に出てきたものを対処するだけではなく元から変える必要があるのです。
湧いてしまった自分の感情を認めながら、じゃあ「なんで自分はこういう感情が湧いてきたんだろう?」と分析に入ります。これは左脳の役目になります。自分にはこういう思考のパターンがある云々、、、だからこういう風に思った。すると自分の頭が「左脳」になってるので、相手についても分析ができるようになります。自分に意識が集中して視野がせまくなってる状態から、相手を見ることができ、自分を相手に重ねて考えることができるようになるのです。相手はこう考えたからこういう行動をしたのだろう、自分はこう思ったけど相手は違うことを考えてしたのかもしれない云々、、。新しい視点の獲得です。こんな風にものの見方(=観念)を書き換えることで対処していきます。つづく