過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
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整体。共鳴から始まる 第3回。

整体。共鳴から始まる―気ウォッチング (ちくま文庫 か 48-2)
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片山 洋次郎

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このように「気」=非言語コミュニケーション、と言えます。
動物(ネコ、イヌ、サル、イルカetc)と人はもちろん会話はできませんが、言語以外のコミュニケーション=非言語コミュニケーションは可能です。動物は人の感情を読み取り間合いを考えます。
「人と人、人と動物、人と植物、人と物でもその間に何らかのつながり、連続性、浸透性を実感する瞬間がある。=共鳴し合う作用=あらゆるものが「存在」する根本。そしてこの共鳴する作用あるいは働き合う意思を『気』と呼びたい」と書かれています。
本では脳に障害を持った脳障害児を治療した時のことを例に取り上げています。脳に障害があるため話すことができません。しかし「気が通った」。脳で言語的にコミュニケーションはできなくても、身体自体に障害があるわけでは無いのでコミュニケーションができたと書かれています。非言語コミュニケーション=身体と身体のコミュニケーションとも言えます。こういった人の方が自我が希薄なため、より他者や自然に共鳴しやすい状態と言えるようです。動物も同様です。
自我が希薄、と言えば究極は「赤ちゃん」ということになるでしょう。赤ちゃんというのはありのままです。
人は産まれた瞬間から死へと向かっています。胎児の時は自然・世界・まわりとのつながりがあり(=共鳴状態にあるということ)、産まれてから徐々に自分と自分以外のものを認識するようになります。しかしそのことは「自分」と「自分以外」に境界線を引くことと等しく、それは分け隔てる=自他分離ということであって、自然・世界・まわりとのつながりが徐々に薄れていくという意味を持ちます。
 自我の芽生え→共鳴状態の薄れの始まり
 自我が強い→共鳴状態が希薄
 自我が無い・希薄→まわりとの共鳴が強い
自分に意識がフォーカス(集中)されていれば、まわりとの共鳴は希薄になります。視野が狭ければそれだけまわりが見えなくなるということです。それは「執着」ということです。だからよく仏教などで「己に拘(こだわ)らない」「執着をしない」「こだわらない」と言われるのはたぶんこの自然・世界・まわりとの共鳴状態を得るためだと思われます。神様は全てのものに存在する、自然と一体という東洋思想ならではなのでしょうか。
意識のフォーカス、ということで言えば『バシャール』でも述べられています。わたくしたち、とくに人は目に見える形のあるもの、この三次元の物質世界に意識のフォーカスが合い過ぎ(=間合いが近過ぎ)てしまって、他のものが見えなくなっている・感じにくくなってるということです。それは実際の物質、「物」以外に観念的なことでもです。
なのでそのロックされているフォーカスをはずすために「瞑想」という方法が1つの方法としてあるわけです。『バシャール』によればとくにやり方は決まっていなく、やり方は人それぞれで良いということなのですが、一般的にはまず目を閉じて視覚から入ってくる情報を遮断します。そのことで自分に集中する、というのではなくこの本に書かれていることを応用すれば、自然・世界・まわりとの共鳴状態を強めるということになるのでしょう。自・他を分ける情報を遮断するというわけです。そして心を「無」の状態にするということなのでしょう。つづく