過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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【ネタバレあり】続々々『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観た。~『エヴァ』と『惡の華』と『マトリックス』とその他もろもろ~

たしかカヲル君が「円環のなんちゃら」て言ってたけど、エヴァて円環の物語なのよ。で、たぶんカヲル君や冬月、加持もそうカもしれないけど、円環の世界でしか生きられない。だからシンジやゲンドウを円環の世界に縛り付けようとしていたんだ思う。シンジとゲンドウが対立してる限り、人類補完計画は完了しない。インパクトも中途半端に終わる。だからまたやり直す繰り返す。そのコトを分かっているから、そのループに閉じ込めてる限り、彼らは生きられる。カヲル君はシンジに優しいし否定しないじゃない。その「ぬるま湯な優しさ」ていうのがシンジにとっては心地良かった。けどそのぬるま湯から出ないと、永遠にループから抜け出せない。

カヲル君の場合、あたりは良いけど、奥底に何か思惑を感じさせるような気持ち悪さがある。アスカと逆な気がする。アスカがツンデレ(というか「ツンツン」だが)なのをシンジは解ってた。ただアスカはそういった性格だから同情してほしくない。ヤマアラシ。アスカはシンジがどこか自分に似てて、ほっとけないからシンジを嫌いになれなかった。アスカのそういう想いがシンジには伝わっていた。だからシンジもアスカが好きだった。シンジはわりとすぐ落ち込んだりしょげたりするので、ある意味分かりやすさがある。が、アスカは落ち込んだりしょげたりしてる自分が大嫌いなので、そういういったコトはしない。常に突っ張っている。シンジがいるから余計に。が、感情を表に吐き出さない分、彼女のほうがシンジよりも病みの根深さがある。

アヤナミレイに第3村の生活を積極的にさせたのは、彼女が「好き」という感情を理解するために、だったように思う。「どうしてみんな僕に優しくするんだよ!!」というシンジにアヤナミレイが「好きだから」と応える、その言葉を言わせるため。この言葉にシンジは「こんな僕でも認めてくれる」「こんな僕でも好きだと思ってくれる人がいる」、そしてこのコトが「自分は自分が嫌いだったけど、世界にはいろんな考えを持ってる人がいるんだな」というコトに気づくきっかけになったのではないか。

          ※          ※          ※

ようはシンジもゲンドウも大人になりたくなかった。だからアスカも今回は「ガキシンジ」と言い変えたのでは。2人で対立構図を繰り返すコトで、大人になるコトを先延ばし引き延ばししたかった。モラトリアム。

その状況を打破するのがマリだったんだと思うんだよな。彼らの円環を打ち破るにはまったくのニューキャラが必要だった、てワケだ。 

マトリックス』もラストはまた別のマトリックスの世界では?と言われてるけど、たとえ今の観念の世界から抜け出したとしても、また別の観念の世界に移っただけだったりする可能性もあるワケで。人というのは意味付けする生き物だから、観念から逃れられない。モノゴトを単なる「モノゴトそのもの」として見れるのはソレこそ神様仏様だけなのであって。結局は別のループに移っただけとも言えるけど、ソレでも以前よりは少しはマシでありたい、マシな世界にしたいと願うのが人間でもあるんだよな。人間はそうして生きるしかない。

おそらく神様仏様はあらゆるストーリー、エンディング、モノゴトの行く末を知っている。ソレを知らない「人」という生き物をただ眺めているだけだが、最後の最後で「、、しょうがないな」と手を差し伸べてくれる。本当にソレが人のためになるかどうかはさておいて、ソレが「情け」と言う慈悲だ。試験に出るからもう1回だけ言うが(笑)、思い出や記憶を捨てるコトができないのが人という生き物なら、ソレが人を人たらしめるモノだとするなら『せめて、人間らしく』生きていきたい。この世がマルチエンディングで、いくらでも乗り換え可能なら、ちょっとはマシな世界、ちょっとはマシなエンディングを選択していきたいものだ。

ありきたりな言葉だけど、今回のシンエヴァもまた「幼年期の終わり」を感じさせる作品だった。でもシンエヴァは反則スレスレだったよなーてのが正直なトコロ。ワタクシの言う反則=「夢オチ」のコトだけど。結局『ヱヴァンゲリヲン』3作と今回のシンエヴァはいらなかった気すらする。マイナス宇宙とか精神世界とかに迂回して解決したのが今回だとしたら、『Air/まごころを君に』までのほうが、ピュアで真っ向勝負でしっかり向き合ってる気がする。若くて青臭くても。その代わり発狂するけどね。いやマジで。迂回するコトでその発狂から回避したみたいな感じで「監督、逃げたな」て感じがしてならない。レイとアスカとシンジの合わせ鏡のこの3人の物語のほうがよかったし、この3人で解決してほしかったし、ラストでアスカに「気持ち悪い」て言われる世界のほうが正しいような気もする。どこまで行ってもいつになっても他者や世界は基本的に気持ち悪いモノというほうがね。ソレが今回マリと手をつないで走り出す、どこぞの青春アニメか!ていう似つかわしく無さ、、。やっぱし監督が結婚したのが大きいんだよとしか言えない。。言っちゃなんだけど、実生活でもニューキャラが登場したから、物語の純粋さが失われた感じ。でも結婚せず奥さんと出会ってなかったら、ループから抜け出せなかったワケで、監督的にはこっちのほうが断然良かったんでしょう。

エヴァ自体も1作目からもう20年以上経ってるから、フォロワーとかエヴァに対してのアンサー的な作品も世の中に多く散見する。『惡の華』『血の轍』以外にも『ガンダムUC』とか『OO』とか。フォロワーじゃないけど、FSSなんかも神対人間の構図の漫画だから、なんだろね、庵野監督とか永野先生とか、この世代てなんかそういう思想というか、あるのかね?反骨ていうか、、。彼らの師匠世代が富野監督とか宮崎駿高畑勲氏とかに当たるのかね。たぶんそういった世代の強大な壁を超えようとする熱が、こんな大風呂敷を広げた作品を作りだすんだろうね。

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なーんかたまたま安く観れたんだよなー。朝1本目が割引なんだけど、シンエヴァは割引適応外だったから「もういいや、普通にお金払って観よう」と思って行ったらなぜか。「10日が安い」とかあるのかな?でも普通に料金払っても損は無いよもちろん。スカッとする箇所も多いし、映像技術もコレでもか!てほど楽しめるし、ソレこそもう最後だからか「サービスサービス!」て感じで。ただワタクシはまた観たいか?ていえばもういいや笑。たしかにまだ謎とか分からないトコロたくさんだけど、あとはテレビでやる時観れば。答え合わせもその時に。あと『序』とかかこの作品で出てくる場面とかが形変わって出てたりしたから、ソレを過去作もっかい観て見つけるのも楽しいだろうね。「お、あの時のあのやつ~!!て。

最後に、まだ謎もいろいろあるけど庵野監督はよくこの長い間あきらめずに粘り強く作り続けて公開までこぎつけて、他の人も言ってるけどホントに「ありがとう」しかない。よく決着をつけたと心底思う。もしかしたら、もうこういった言葉遊びというか謎解きのお話てのは流行らないのカモしれない。そういう時代になったのカモしれないけど。

「ありがとう」にもう1つ付け加えるとしたら「すべての過去よ、安らかに眠れ」。

さよなら、と手を振ろう。

 

終劇