劇場版ガンダムOO観たぜ!!!2。
コレはネタバレにはならないと思うんだけど、水島監督いわく「イオリアはああ見えて人間が好き」ていうのが分かった気がしたな。
まぁ見た目からして仏頂面で険しい顔でとても「人間が好き」と思えないでしょ。でも自分の中には人間に対して愛情があるのにぃぃー!ていう、その想いが伝わらないモドカシサてのがあると思うのね。ソレはもう若い頃からよ。ワタクシもそうなんだけどさ。表情とか感情豊かに表現できる人に対して「いいなあ」ていうのと、コンプレックスがあるんだと思うんだよね。
で「愛」てモノがもっと人に見える形で伝えられたらいいなぁ、そういう意思疎通ができればもっと人間はすれちがいとか誤解とか無くなるはずなのに、戦争とかもなくなるはずなのに、ていうソコがイオリア計画の発端だと思うんだよね。まぁみんな思ってるコトだよねソレは。
で、どうやらGN粒子てのが木星にあって、ソレが人類の意思疎通(イノベイターへの進化)を促すモノになるらしいというのが研究してるうちに分かってきた、というコトなんだと思う。(GN粒子てのもワタクシは1つの見解があるんだけど、ソレはまた今度)
刹那も仏頂面というか感情が伝わらないでしょ。てか押し殺してる以前に子供の頃から戦場で生きて感情の部分が麻痺してるというか。そうしないと、人が死んでく中で、自分が生き残ってく中で、感情がジャマになるんだね。刹那はそういう環境で育ってきたワケだけど、でもTV本編でも分かるようにトランザムバーストで「刹那てこんなに愛あふれる人なんだ」てのが刹那を知る人には解ったワケでしょ。もう自分の知る人を目の前で失いたくないし、人類を純粋に守りたい。だからTVのラストでフェルトは花を託すんだね。刹那への想い。ソレが劇場版のキーになってくんだけどさ。
ティエリアの「肉体は器でしかない」ていう認識は、もっと端的に刹那のソレを表してる言葉だよね。そういう認識だから、劇場版のティエリアは男気あふれてる(笑)。肉体は器でしかないに続く言葉は、胸を叩いて「ココが大事なんだよ、ココが!」みたいな。そんなコトは言ってないけどね(笑)。
刹那なんて『愛が大きすぎる』(byフェルト)からELSと融合しちゃうんだモンなー。結局アレなんか「自分の我なんてどうでもいい」とも受け取れるよな。Iがなくても愛があるんだよ。刹那の育ってきた環境もあるから自分の我なんてどうでもいいのカモしれない。だからすんなり受け入れるコトができたのカモしれないね。自分の姿形がいくら変貌しても自分の中のココ(胸をドン!)は変わらない、と。だからラストのマリナがもし目が見えてたとしても、そんなに反応は変わらないだろうね。たぶんすぐ理解するだろう。
まぁ、イオリアが父性あふれる(若干エヴァのゲンドウ的な。まーゲンドウはシンジと同じ「少年」カモしれないけど)人類の父ちゃんだとすると、マリナが人類の母ちゃんで、刹那は人類を牽引するイオリアチルドレンとしての長男なのカモしれない。つづく