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青木選手はあのリングで「プロレス」を表現した。

昨日ゴング格闘技の青木選手のインタビュー記事を読んで「なるほどな」と思った。一応先に断っておくけど、ワタクシは彼の言動に注目はすれど、とくに入れ込んだファンではない。
ようするに青木選手は「場に応じて提供するモノを変え」たワケだ。あの行為に賛否両論はあるだろうし、ワタクシもTVで観た直後は「どうなんだろうー」とは思ってたけど、総合格闘技の選手でこういうふうにモノゴトを考える選手て他にいるだろうか?
たぶん青木選手以外の他の格闘技選手は、どこのリングだろうと同じ考えで試合に臨み、試合内容もとくに変えるコトもないだろう。ソレは今回の青木選手の相手選手の「通過点に過ぎない」という言葉からも読み取れる。いつもと変わらない試合、特別じゃない。そういうコトだ。
年齢的なモノもあるのカモしれないし(30過ぎて目覚めるというのはよくあるコトだ)、自分の中でのマイブームというのも多少あるのカモしれないけど、青木選手は「プロレス的にモノゴトを捉える」「プロレス的見方」というコトに、IGFのリングに触れるコトでより強く鮮明にというか、ハッキリ目覚めたのカモしれない。まるで鈴木みのる選手がライガー選手を通してプロレスに改めて目覚めたように、何か自分の視界が晴れるような影響を与えられたカモと、そんなコトを記事から感じ取った。以前から考えてはいたけど、より明確にという意味でね。自分はIGFで求められてる仕事をきっちりやった、と。そういう充実感はあるんじゃないだろうか。
たしかにいわゆる格闘技の世界、マナーというか常識では、青木選手の試合後の相手選手への罵倒というのはスポーツマンシップに反し「無し」なワケだけど、ソレを青木選手は見越しての「罵倒」という行動をしたワケだ。ソレはIGFという団体でありリングだからこその行動、とも青木選手は記事で語っている。いわゆるDEEPなどの純粋な格闘技団体のリングではやらないとも。IGFはプロレスの団体だ。「スポーツマンシップに則る場」ではない。だから青木選手の試合後の罵倒というのは、プロレス的、プロレスの文脈で見れば「あり」となり、プロレスではよくあるごく当たり前の光景でもある。ヒールなんかはもっとひどいコトをする。
かたや相手選手は自分が主戦場にしてる格闘技団体のリングでの試合でありスタンスそのままでIGFというリングにあがってしまった。その意識の違い=プロ意識、と青木選手はおそらくそういうコトを記事で語っている。プロレスは「to be cotinued」が必要なのだ。線でつなげてく。
もちろん試合内容自体は格闘技なのだけど、青木選手が考えるトコロの「プロレス」を、できるだけふんだんに散りばめ(フィニッシュの「ツイスター」のコトも「グラウンドコブラ!」と言い切ってたし)たのだと思う。ソレは相手から試合をしてくれと言われてから、試合が終わり退場するまで、青木選手の彼なりの「プロレス」だった。いろんな、全方位的な裏切りを彼なりに散りばめて、青木選手は全てに中指を立てて「勝った」のである。プロレス的なトータルコーディネートであり総合プロデュースである。この「してやられた感」が、見る者をイラっとさせるのもたしかなのだけど(笑)。でもプロレスを観る者としては、こういう「してやられた感」が心地良い、というのも少なからずある。プロレスファン特有の変態性(笑)とで言うべきか、プロレスファンにはそういう免疫がある。対して格闘技ファンはそういう免疫はないのだろうと思う。だから反発も強い。
青木選手への見方としていまだにベビーフェース的な見方をしてる人も多いのカモしれないし、期待してる人も多いのだろう。だからこそ青木選手の行為や考えがいちいちシャクに触る人もいるのだろうけど(ワタクシも時々イラっとはするけど笑)、彼を「ヒール」だと理解すればすんなり納得いくハナシなのである。観客を煽ってヒートを買ってナンボなのだと。想定内の賛否両論を受けて注目され続けるコトが、青木選手の独自性であり独占する立ち位置であり、ひいては彼のメシのタネになる。
そもそも青木選手がベビーだという認識が間違いなのだ。青木選手には失礼になるが、あの面構えでベビーはないだろう(笑)。イメージにしろ印象にしろ期待にしろ、ソレは幻想でしかない。彼のヒール性を解っておきながら認めたくない、ベビーを期待してしまう、ソレが彼の幻想を深め、術中にハマるコトになり、観る者は踊らされる。彼を根っからのヒールなんだと思っといた方がいいのではないだろうか。実力派のヒール。根っからのヒールが一時期ベビーをやろうとしたけど、ヒールに戻ったというだけのコトなのだと、ワタクシは思うのである。