ひぃぃー、銀色夏生て「おんな」だったのぉー!?
驚き第2弾です(笑)。てか、こっちの方が先だけど。
とりあえず雑誌『ダヴィンチ』今月号を見てたもれ。ワタクシに限らず銀色夏生という人を「男」だと思ってた人は多いだろう。
ちょっとおしゃれな詩なんか書く人で、と思ったら『つれづれノート』とかで自分のパブリックイメージから少し逸脱して素の部分も見せれる人で、ソレでいて家を建てたという本もあって「あー一家の大黒柱なんだなー」なんてのがワタクシの銀色夏生のあさ〜いイメージだったのだけど、、。
でも『ダヴィンチ』の記事をよくよく読んで見るとなんとなくシンパシーを覚える。たぶん中性的なんだと思うんだよな。いや、よく言う「オカマちゃん」みたいな中性的という意味ではなく、男性という性別も女性という性別もあまり関係が無い、コダワリが無いという意味。ワタクシもそんなトコロがある(このブログを読んでる人もワタクシが男か女かよく分からないでしょー:笑)。だから銀色嬢(「嬢」なんだなぁー)の中に少年だったり青年が内在してて、ソレが作品ににじみ出てくるんだと思うんだよな。そのへんが読者に「作者は男」と思わせるんだろう。そう、作品では表面上の「この世を忍ぶ仮の姿」(閣下は良い表現を使ったモンだ)はあまり関係ないモンね。
あと記憶がいいてのも分かるな。銀色嬢は人見知りなんだそうだ。そう、人見知りだからこそ記憶がいい。ワタクシも人見知りだから良く分かる。人の言ったコトは覚えてる。
人見知りてのはいろいろ頭の中で考えてるのだ。あの人、あー思ってるカモしれない、こー思ってるカモしれないとかいろいろ考えて、あげく人に声をかけなかったりする。でも決して人が嫌いではないから(むしろ好きだ。ただ自分が嫌われたくないという気持ちが強いだけ。浅い人付き合いが得意ではないので、一度打ち解ければ付き合いが深くなる)、人と話してる時はテンションが高い。普通の人にとっては何でもない日常的な会話なんだろうけど、人見知りにとっては「日常」ではない。極端に言えば「お祭り」ぐらいのテンションなのだ。ソレぐらいのウキウキ感であり非日常感があるから、どんな些細なコトも鮮明に覚えてる。だから言った言わないで揉めるようなコトがあれば、人見知りの人の言うコトの方が、おそらく正しいのだ。