『告白』を観た。
今日、観たかった『告白』を観た。コレから書くコトはネタバレになるカモしれないけど、まぁたぶん読んでもよくわかんないでしょー。ワタクシの文だし(笑)。簡潔に要約しないから。
まず観終わってすぐ「だーかーら命て重いんだよ!」て
思ったけどな。でもコレが若いコに伝わるかな?と言ったら少々疑問。この作品はR−15指定で、ソレは監督からすれば不本意だと思うけど、だからといって10代のコに観て欲しいと諸手を挙げておすすめする気はワタクシにはない。たしかに観て欲しい気持ちも十分ある。しかし「理解できる人に限り」という条件付きだ。最近の映画で、いや映画に限らずか、、富に思うのだけど、せっかくの伝えたいメッセージがその手前のいろいろなモノゴトのインパクトが強すぎ、てのがある。顕著だ。せっかくその先があるのに、コレじゃ手前で思考が停まってしまう。伝えたいコトの手前のインパクトが強烈だから、そっちの方が「ヤバいよ!」というコトになってしまう、そういう感想になってしまうのだ。でも、ヤバいはヤバいんだけど、その先のメッセージはなんとなくでも届いてるようにも思える。あとで時間が経ってから「そういえば、、」と意識の領域に上ってくるカモしれない。今は無意識でもいいのカモしれない。ただ感じ取ってくれていれば。もう映画も終わりという頃になると、会場ですすり泣く声もチラホラ聞こえた。おそらくその人には届いてる。たぶん本人はなんで泣いてるのか自分でも分からないと思う。でもソレだけ森口先生の悲しみの深さがある、というコトだ。その深さを知って泣くのだ。
憎しみとか憎悪とか、元を正せば、悲しみや涙だったりするのだ。ワタクシたちは簡単に「善」と「悪」と分けるがそんなに単純なモノではない。
言葉によって引っぱられる、というコトがある。この作品の登場人物の誰もが言葉に翻弄される。森口先生が犯人に最後に言った「更生」という言葉。コレは本来の文字通りの意味ではない。決して森口先生は犯人を許したワケではない。希望の持てる、ポジティヴな意味での「更生」ではない。ただ死なせないためのネガティヴな意味での「更生」であり「生きなさい」だ。先生自体はただもう「バカバカし」くなって復讐をやめるだけだ。こんなコトをやっても自分の気持ちは晴れないコトを知っていながら、ソレでも実際にやってみてもやはり晴れなかった、というコトだ。
森口先生は犯人に「更生」と言った時点で、犯人には3つの選択肢が与えられたコトになると思う。1つ目は「やり返す」。2つ目は「自分の命を絶つ」。3つ目は「ソレでも生きてるとし、母親を探す」。犯人が3つ目の選択肢を選んで、母親を探し出し母親と出会った時に初めてこの「連鎖」は終結し、結果的に犯人にとっての「更生」になるのカモしれない。ともかく森口先生は3つ与えたのだ。あとはどうしようと構わない、勝手にしろという留保。
だからアレで結末ではなくあの先、あの直後におそらく何らかのアクションがあるはずだ。実はソコで犯人がどういう行動を取るか、が重要なのだ。コレは「あなたならどうする?」と原作者?か監督が問いかけてるのカモしれない。
まぁ今日はザックリと簡単に。また近いうちに詳しく書こう。