一杯のコーヒーの力。
『斎場内の控室・休憩室・コーヒーコーナーの給茶サービスと接遇及び場内の御案内』かぁー。斎場ていうと若干引くけど、でもこういうトコロにこそ人て必要だとも思うし、考えてみるとコレて良い仕事だよなぁ。
絶対こういうトコロに来るご遺族の方々や関係者の方々て落ち込んでるでしょ。深く沈んでて動くのもままならないというか。でも飲んだり食べたりてのは生きてく上で必要だし、食欲なくてもとりあえず何か口にしようとしたりして。その時に1杯のコーヒーを「いかがですか?」と。
別にコーヒーじゃなくても何でもいいんだけどね。誰かまわりの関係者の人が落ち込んでる人の目の前に差し出して。そうしたらまったく食欲も何もなくても視界に入れば一口ぐらい飲んでみようという気になるカモしれない。ソコでコップを手にとって一口飲んだ時のコーヒーが、ちょっとおいしかったら、いいじゃない?
こういう場では極上に、特別においしくなくてもいいんだよ。普段飲んでるのよりちょっとだけおいしければ。エチオピアのような優しく包み込んでくれるような味とグアテマラのボディと旨みがある、ちょとお腹に力の入るようなじんわり染み込むようなコーヒーがいいな。ソコでちょっと目先が変わって「おいしい」と思えれば、その一瞬だけでもその人の気持ちが軽くなるじゃん。ずっとはムリだと思うけど、その時だけはね。
こういう時て部外者はかける言葉がないじゃん。せいぜいあいさつとか決まりきった言葉しかかけられない。何かしてあげたいという気持ちがあってもね。でもこういう仕事ならコーヒーを差し出すコトができる。
飲食ていう人が避けられない、落ち込んでる人の少ない能動的なアクション。その少ないアクションに思いを込めたコーヒーで応える。ソレが何か少しでもその人が明日生きてくために必要な活力が与えられれば、そのきっかけになれればという思い。
そもそも料理とか外で食事をするとかて、そうでしょ。外で食事をして元気をもらうとか。気をもらう。明日のための活力を得る。ソコに飲食て職業の存在意義がある。
別にコレは飲食だけじゃないよね。歌うたってる人も、サッカーしてる人も「世界を変えたい!」て思うから。まぁ「世界」は大袈裟にしても、自分のパフォーマンスで1人でも多くの人の希望になれれば、明日を生きてく力になれれば、ていう思いじゃん?その志があれば大丈夫なんだよ。やってる本人にそういう志があれば、見る人に伝わるよね。ソコを信じて続ける。ジャンルはちがうけど、同じだよな。
「仕事を楽しむ」ていうけど、こういう仕事だと決して「楽しい」とは言えないよね。繊細な仕事だから「楽しい」とはちがう。「やりがいがある」ともちょとちがう。「働きがい」のある仕事だな。