『まんまる』極私的解釈。
つづき。他のトコロはどうか分からんけど、東京に関して言えばバンドというコトもあってか、いつもより激しいライブだったぁ〜。MARACASでグっとアガって失格〜ホクロ〜LDKていう怒涛の流れで、、かなりハゲしい連チャンだなぁ、おっさんにはコタエルよぅ〜と思いつつ(笑)ソレでもノリノリにノリやした。もうこんなライブ、そういつまでもできねぇーだろと(笑)。ねぇ、5年10年したらファンはみんなヨイヨイだよ(ソレも早すぎ)。だから今のうちにノレる時はノっときましょーてな感じで。
もっとライブCD『Wonderful Life』に沿った曲をバリバリやるのかと思ってたら、意外に懐かしい曲が多かったね。コレはワタクシが「いずみさんはロックだ!」と書いたからなのか(笑)、ロック色が強かったな。
でもね、こういうのをやれる40代一児ありのお母さん歌手て日本にはそうそういないよ。たぶんなんとなくイメージだけど、普通はもっとお母さんお母さんした曲ばっかりだと思うんだよね。人生観が変わったとか何とかで。もちろんソレはソレでありだし、いずみさんもそういうトコはあるだろうけど、できるんだモンねぇロックが。だったらヘンな偏ったイメージにとらわれないでやっちゃった方がいい。コレは稀有な存在ですよ。
自分でやれる音楽を狭めてもツマラナイしね。もちろんそういう風にして自分のスタイルをより色濃くするてのはあるけどさ。歳取ったら取っただけやれる音楽が増えてくて方が単純に楽しいと思う。音楽に関して言えば「若い=良い」みたいな通俗的な見方て当てはまらないね。
で、新曲の『まんまる』。コレはワタクシがあんまりどうこう言ってもソレは「ワタクシなりの解釈」になってしまうので、あんまり参考にはならないと思うし、今回は東京でだけお披露目という形になったので、まだ聴いてない人にへんな先入観を持たすのもどうカナ?と思ったんだけど、まぁこちらでは書くコトにしよう。見たくない人は飛ばすと(笑)。
というコトで『まんまる』極私的解釈。つってもベース音が爆音でさらに歌が低めのトコから入ってくんで、正直よく聞き取れなかったなぁー。またアコースティックバージョンだと違うんだろうな。
音的に言えば前回の『まばたき』の時もそうだったけど、わりと最近は実験的な音づくりだよな。ちょとアバンギャルドというか。こういうのが「気分」なんだろうか。まだ出来立てというコトもあって「洗練されてない感」が前面に出てたけど、こういうのはライブでやってるうちに洗練されてくモノなんだろうね。だからかえって貴重だと思うよ。
でなんとか聴き取った分で歌の解釈を書くと、「まんまる=地球」。まぁコレは聴けばすぐ分かるコトだと思う。歌の内容としては「そういう地球でどんなに離れてても君を探し出すよ」みたいなコトだと思ったけど、ワタクシは最近まで読んでた本の内容と勝手に結びつけて。
地球てのは60億以上、様々な人がいる。みんな自分にとって良いやつばかりならいいけどなかには悪いやつもいる。でもだからといってそんな悪いやつらを追い出すワケにはいかない。だってこの地球は1つしかないんだから。将来的に宇宙ステーションとかできればまた違うのカモしれないけど、ソレでも今すでにある宇宙ステーションは地球からのライフラインの管理・監視が無いとダメなワケで、やっぱり将来的にも地球とは切り離せないモノだと思うのね。
我々の住んでるこの地球は1つしか無いんだから、良いも悪いもとりあえずはいっしょにこの星で生きていかないといけない。だから良いも悪いも認めて、「いやだなー」と思いながらもソレ以上干渉するコトもなく、お互いの存在は存在で認め合って共に生きてくしかない。
いずみさんのイメージて、昔からのファンの人は若い頃のいずみさんのイメージが強いと思うんだけど、アレばっかりじゃないよね。人てさ、1つの人格だけじゃないじゃん。そんな単純じゃないでしょ人て。どんな人にだっていろんな自分がいるワケでね。ライブを観てもいずみさんコロコロ表情変わるしね。歌の表情が。
歌手てのはある意味「いたこ」みたいな部分もあるし。シャーマンというか。自分の中のいろんな人格を自分の身体を楽器にして表現するていう。その各人格同士てのは必ずしも論理が一貫してるワケじゃないと思う。だから『平成』歌ういずみさんも「いずみさん」なんだよね。今はそうじゃないでしょ?と聴きたいけど「いや、コレも私」て言うと思う。たぶん。
人なんて矛盾だらけだからね。でも自分ではそんなに矛盾してるつもりもなくてスジが通ってると思ってるけどさ。1人の人の中には良心ばかりじゃなく邪念もあるし。でもその邪念とか矛盾とかを否定してもしょうがないじゃない。ソコに執着したってしょうがない。ソレも含めて、そう思うのも自分なんだとその存在を認識して共存していくしかない。動きを見守りつつも深入りしないコトが大事なんだってさ。ねぇ、お隣の北の国だってそうでしょ。たぶん執着しないで共に生きてくと受け容れた時にこそ、人は変わり始めるんだろな。
人が完ぺきだったらこの世には生まれてきてないよね、と最近そう思うんだな。何か欠落してたり矛盾してたり不完全だから、人はこの世に生を受けてこの世界で学ぶべきコトを学ぶ。この世で学ぶコトがあるから人は生まれる、とね。だから他人に落ち度があったりしてもソレが当たり前なんだと思うよ。もちろん時と場合によるのカモしれないけど。だってその落ち度をなるべく埋めるために生きてるんだもん。だったらその落ち度をけなすんじゃなくて、埋める手伝い?手助け?をしてあげればいいんじゃないのかな。ソレが結局は人類的に良いんだよ。
まぁ『まんまる』てそういう歌じゃないとは思うけど(笑)。全然ちがうだろうけどいいの。また聴いたら変わるんだろうけどね。つづく