無意識的な選択。
人の縁とか巡り合わせというのはとても不思議なモノだ。つい最近まで全く知らなかった人が今はソバにいたり結婚してたりする。当人は人を介してつながりつながりで今のその状況なのだろうけど、そういう知り合いに何年かぶりに会った等の場合は「え、この人誰?」とまでは言わないけど、自分の全く知らない人と親密にしてるモノだから「、、、」とキツネにつままれた感がある。ボーゼン、、。どういう展開でそうなったのかサッパリわからない。で、その人はその人の生きてきたバックボーンがあるから、そういう様々な要因がコレからのお互いの人生に影響を与えたりしてしまう。こういうのを人は「流される」とか「運命」とか称するのだけど、案外そういうのは自分で選択してるのかな?とも思う。
「自分で選択」と言う場合、その言葉は意識的に考えた・選択した部分にのみ当てはまるモノだけど、「自分」というのは意識層以外に無意識層とかエスとか言われる潜在的な部分もあって、そういった無意識層が選択を下してる場合も多いんじゃないか?と。そういう「無意識・無自覚な選択」というのを人は「縁」とか「運命」とか言ってるのカモしれない。
となるとソレは「自分が選択」というのとはちょっと違うかなとも思うけど、その無意識無自覚な選択も自分が下してるとすれば、ソレも含めて「自分」であって、やはり「自分で選択してる」というコトになる、とそうも言える。
でもそう考えると、自分が知り得るモノゴトなんてほんの微々たるモノだと分かる。人は自分でさえ知らない自分を内在し、自分の外には60億の人と様々な動植物が、自らを構成してる原子分子を震わせ生きてる。ソレはまるで空にひろがる星々のように輝いて。