「生きる」というのは「動く」というコト。
タイトルのようなコトはわざわざ言わなくても当たり前のコトなんだけど、人というのは「動いてこそ」なのかなぁ、と。
詳しいコトはまた近々書くコトになると思うけど、ワタクシの知り合いで活動的な人がいる。たぶんその人はいろんな人とのつながりがあるように思われる。
人というのは1歩でも歩いたり動いたりすれば、その動作による振動がまわりの空気や磁場やなんやかんやを波紋のように空間を伝わって、他人や様々なモノに何らかの影響を及ぼすんだと思う。
その例として、ワタクシたちが普段の生活で活用してるモノに「気配」というモノがある。目視してないのになんとなく人がいるような気がする、など。ソレが人の動作なのか体温なのか呼吸なのかは知らないが気配というモノを察知する。コレは他の動物も同様である。たぶん本能的(自己防衛本能)なモノだ。
振動の伝わり方でもっと分かり易いモノに「声」や「音」がある。声や音は空気を震わせ波紋のように伝わって聞く人の鼓膜を震わせる。ソレが耳に届く、聞こえるというコトだ。
地球上には60億人以上の人がいる。人の他にも様々な動植物が存在する。ソレら全てのモノが何らかのパワーを発してる。パワーが交じり合い絡み合ってる。いろんなモノに良くも悪くも影響を及ぼしながら生命活動を行ってる。ソレらが互いにどういう影響を及ぼすかは全く分からない。
なので頭の中で完結させてしまう自己完結型思考、自己完結世界というのはどこまで行ってもバーチャルなのだ。いくら頭でああだろうこうだろうと自分の中だけで一応の結論を出していざ現実に当てはめようとしても、考えた結論になるとは必ずしも限らない。いろんな人やモノが生命活動をしてるからだ。ソレら予測不可能な力が様々な影響を及ぼし合って化学反応をしてる。ソレがバーチャルな場とリアルな場の違いである。
世の中は計算不可能な要素の方がよっぽど多い。だから良いか悪いか、は動いてみないと分からない。ワタクシも含めてワタクシたちはつい頭で考えがちになるが、実際は様々な要因が複雑に絡み合うので、頭で考えたようにはならないコトもある。頭で考えたようにはならないというのは、ソレが良い結果を生み出す場合もあるし悪い結果を生む場合もある。つづく