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1日の夜に、父親から「会社が倒産したから」と聞かされました。
もう絶句ですよ。今は少しは自分的に気持ちも落ち着いたので、ようやく時間を見て書けますが、昨日まではとてもそんな心境ではなかった。なんでこんな、自分に喪失感があるのかなぁと。なんだか当の本人より喪失感があって。自分でも分からないくらい。でも自分で制御できなくなってるのが自分で分かる。ああー、こういうところでやっぱり親とシンクロしてるんだなというコトを思ってみたり。魂のレベルでというかDNAのレベルでというか。
親はもう年金受給できる年齢で、失業保健は自分が経験者なので(笑)、その辺のアドバイスはおいおいしてくつもり。だから給料の6割程度の年金で生活していけるのかどうなのかという問題とか、調べないといけないコトが多々ある。
でもソレよりも、ホント自分勝手でヤになるけど「自分の店ができないカモ、、」というのがあって、自分でも過剰に取り乱してしまった。保証人になれないじゃない、親が。
でもお金を借りる場合の「保証人」と、店舗とか部屋を借りる場合の「保証人」とは意味合いが違ってくるのかなぁー、とも思ってる。この辺は好きなカフェのオーナーさんに、昨日聞いてみたんだけど。
でも昨日そのカフェと、あといずみさんのCD聴いて、だいぶ持ちなおしました。こういう時はシンプルに物事を考えないと。あとは「なるようになる!」とか「行動あるのみ!」とかそんな感じ。人間、前だけ向いて歩く時期も必要なんだよな。今は時間がないので、おいおいもう少し詳しく書くね。
ほっ。今日は大丈夫だった。気持ちが落ちつけるようになった。いつもの自分にもどった。
1日の夜から、親とアレコレ話し合ってる。親も家でボーっとするしかないので。1人で居るとボーっとしちゃうんだよなー。人て何かしら目的がないとボーっとしちゃう。「どこへ行く」とか「何をする」ていうのがあれば、目に力も入ってくるし顔も引き締まってくるんだけど。ソレを自分は昨日さんざん味わった。ホントに目の焦点が合わない。だから2人でいる時は、なるべく話しをしようと思って、TVのくだらないコトでも話してる。でも会話が多くなったので、今まで親とはそんなに話しをしてなかったので、ソレはいいなとも思ってる。だからあんまりこっち書けないけどね。
しかしアレだな。こういう状況下というか心境下にいると、TVとか通りすがりの人の話してる言葉とかのシンクロ率が高まるな。感受性が高まってるんだろうな。
昨日のカフェの帰り、学生に「人間、生きてりゃいろいろあらぁ〜な」といわれたよ(笑)「まさにその通り!」て思わず指差して言ってやろと思ったよ。学生たちがどんな会話してのか知らないけどさ、通りがかりだぜ!もちろん知らない人。すげぇ〜グッドタイミングで。アレは感動的なセリフだったよな。「えっ?ソコでそのセリフかよ!」ていうドンピシャな言葉がビンビン耳に入ってくる。ソレは面白い。
たぶん普通の心境の時は、ソレらの言葉たちに自分の耳は反応しないんだよ。普通の人は、自分に必要な事柄だけ興味がある事柄だけしか相手にしない。須藤元気氏も言ってるから、彼は有名だし引用しやすいから引用するけど、まわりは神だらけなんだよ。世界は愛にあふれ想いにあふれてる。ただソレに気付く己かどうかというね。
最近うすうす感じてるのは、そういう自分の興味「外」のトコロに、意外とヒントや宝が隠されてたりするコト。そういうトコロにひょっこり顔を出してたりするんだよな。3日ぐらい経って気付く場合もあるんだよ。そういう時「コレだったか、、」て思う。ソレを無視する選択もあるし、貪欲に自分に入ってくる言葉や情報を、自分の進む道生きる道に生かそうと思えば、いくらでも生かせる。人てそういう動物なんだ。意味付けをしてく動物なんだな。
でも今はね、今はぐちゃぐちゃ考える時ではないと思うので。いずみさんの『つまらない世界』の「大事なモノだけ見つめて」で。ほら今だってTVで「とりあえず何でもやってみるてありなのかな?」と言ってる。やってみてダメだったら、その時に考えればいい。