物理屋になりたかったんだよ のつづき。
物理の研究、というと何か堅苦しい小難しいようなイメージがありますが、本で使われてる朝永氏と小柴氏が写った写真を見ると、笑顔で何か憎めないような、愛くるしい人柄が伝わってきます。
最先端で切磋琢磨してる人たちというのは、得てしてそういう人たちなんだと思います。たしかに天性の人柄の良さというのはあるのでしょうけど、様々な人たちとの「要所要所での巡り合わせ」というのは、そういった何か人を引き付けるような魅力を持った人物でなければ、おそらく縁が無いことでしょう。表現は悪いかもしれませんが、なにか子供が砂場でどろんこ遊びをしてるような、そのままの気持ちで、物理学の最先端で研究をされてるのかもしれません。
またそういった人柄と、自分に不足な部分を補う行動力が、ついにはノーベル賞受賞という偉業を成し遂げるところまで、自らを押し上げたんだと思います。
人よりハンデがあって、なおかつ何にも「無い無いづくし」で、だからこそ貪欲でもあり、自ら行動し勝ち得る。この小柴氏の人生哲学は、カミオカンデでニュートリノを観測することにももちろん役立っています。
小柴氏はノーベル賞を受賞した際、このように言っています。
「あまり幸運だ、幸運だ、とばかり言われると、それはちがうだろう、と言いたくなる。幸運はみんなのところに同じように降り注いでいたではないか、それを捕まえられるか捕まえられないかは、ちゃんと準備していたかいなかったか、の差ではないか。」つづく