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物理屋になりたかったんだよ

物理屋になりたかったんだよ―ノーベル物理学賞への軌跡
物理屋になりたかったんだよ―ノーベル物理学賞への軌跡
小柴 昌俊

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ずいぶんご無沙汰のやぎのぢぇーむすです。春ですね。
今回ご紹介する本は、前回チラッと出てきた小柴氏の本です。名前をご記憶の方もおられると思うのですが、「カミオカンデ」によるニュートリノ観測でノーベル賞を受賞された小柴昌俊氏の本で、小柴氏の物理学への目覚めからノーベル賞受賞までの軌跡が書かれた本となっております。
ということは量子物理学に興味がなければ読んでもむずかしいのでは?面白くないのでは?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、決してそうではございません。
わたくしは前回の『成功はどこからやってくるのか』『セレンディピティ』の流れでこの本を読みましたので、1人の人が大変権威のあるノーベル賞を受賞するまでの道のりに興味を抱いたわけでございます。そういうエッセンスの部分は、自己の向上を目指す方にとっては、どなたにでも読んで損は無いことだと思われます。
この本には小柴氏の半生が書かれてます。小柴氏は始めから物理学に興味があったわけではなく音楽が好きで、まわりもてっきり音楽の道を目指すものだと思ってたそうです。しかし小柴氏は小児マヒを患った後遺症により右手が不自由だそうで、手が不自由なら楽器が弾けないと音楽の道へ進むのを断念します。
そして学生時代は成績も良くはなかったと書かれております。ただ先生の中でも、なぜか数学の先生は「小柴は見どころがある」と強く主張してくれたので進級ができたとあります。そこから小柴氏は、まず数学に興味を持つようになります。小柴氏自身いわく「わたしは運のいい男で、要所要所に、かわいがってくれる人に出会ってる、この時もそうだった」と述懐しています。
小柴氏が物理学の道を歩むきっかけになったのは、小柴氏が通った高校の物理の先生が3人いらして、その中の小柴氏に物理の落第点をつけた1人の先生と、その先生が可愛がってた物理のよくできる学生との話を耳にしてしまい、その話に腹が立ってこんちくしょうと思い、大学は東大の物理を受けることに決めたそうです。そうしたら物理に受かってしまい、ある先生にそのことを話したら、小柴氏は1人の人を紹介されます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、紹介された人とはあの朝永振一郎氏だったのです。朝永氏によって、小柴氏の物理屋への道が開けていきます。
時は第2次大戦直後、小柴氏も苦学されたようで、働きながら生活費を得ながらの学生生活だったらしく、成績も相変わらず芳しくなかったそうですが、奨学金目当てで論文を書いたりして、ご本人いわく「東大をビリで卒業」され、大学院で研究を始めます。
その後小柴氏は、給料が高いのを目当てに、アメリカで研究をすることになるのですが、当時日本は敗戦国という立場にも関わらず、物理の世界では国境よりも実力が先立ちます。そこにアメリカという国の器の大きさ、開放的な土地柄・民族の人柄が窺い知ることができます。アメリカで小柴氏の人のつながりが広がって行きます。つづく