過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

4月5日の内田さんのブログについて思ったコト。

4月5日の内田氏のブログの後半部分で、「ネット上で書籍の閲覧が可能になった場合のプラスとマイナス」について論じられてるコトに対して意見を述べられているんだけども、そのコトについてワタクシが思ったコト。
まず「ネット上での閲覧」についてのワタクシの考えは、閲覧が可能になっても実際の書籍(本)はなくならないだろうし、本屋もなくならないだろうとは思う。人の所有欲は無くならないだろうし、なんとなくぷらぷら歩いててなんとなく店に入ってという行為自体も無くなりはしない。ただたしかに本や本屋の数は減るだろう、確実に。図書館も減るカモしれない。
で、ワタクシはお店をやろうとしてたので、自分の得意な「店的なモノの見方」で考えてみるコトにする。
「お店に行く」という行為には「衝動来店」と「目的来店」というのがある。ネットというのはかなり「目的来店」寄りだ。たしかにネットサーフィンでたまたま見た情報でモノを購入するとかもあるカモしれないけど、使われ方としてホトンドの場合、「コレを買う!」というピンポイント狙い撃ちの、目的を持った買い物という利用のされ方だと思う。
でも現実の世界ではウィンドウショッピングていう言葉があるぐらい、なんとなく店を覗いてみてはたまたま目に入ったモノが衝動的に欲しくなっちゃったとかもあるワケで、何も「コレを買う」という目的があるばかりではない。店内を歩いてるうちになんとなく目に付いたモノ興味のあるモノを手に取ってみて、気に入れば購入するとか。ネットの場合、こういった衝動的な買い物というのは少ないと思う。
視界の違いというか目に入る情報量の差てのもあると思うんだよね。ネットてのは「画面上にある情報を目で見る」ていう範囲が限られてるよね。でも現実世界は音も聞こえれば匂いもあったり実物を触れたりで、五感を刺激する情報満載なワケだし、ネットはディスプレイ画面という非常に限られた大きさでしかないけど、現実世界は3次元空間(いや4次元的にも??)的に広がりを持って、その中の無数の情報が飛びこんでくる。ソレは情報の選択の幅ていうのは、もう歴然の差だと思う。
次に「無償のテキスト、有償のテキスト」について。何の予備情報も無く、いきなり目的買いというのは、たしかに目に入って一目惚れ!みたいなケースもあるカモしれないけど、本とかの場合ホトンド無いと思う。服とかはあるだろうけど。
本で言うなら、本屋で立ち読みしたりとかして、興味のある記事があったり、内容が面白そうだなとか思って購入する。この「立ち読み」という行為が「無償」にあたる。ブログでは図書館で論じられてるけど、図書館で本を読んで「この本欲しいな」とかワタクシはよく思うんだけど(もちろん盗りませんよ!:笑)、いずれにしろきっかけは「無償」で、気に入ったり欲しいなと思えば購入するという「有償」につながる。一目でパっと見ただけでは良いのかどうか分からないモノは。「無償のテキスト」なくして「有償のテキスト」はありえないんじゃないか?と思う。「無償」というきっかけが無ければ「有償」の売上にすら影響するんじゃないかと。
音楽だってそうだよね。TVドラマの主題歌に使われたり、店で流れたり街で流れてたりするのを耳にするコトで、「あ、この曲いいな」とか興味を持ったりするワケで。
だから「無償」というよりは「宣伝」だと考えればいいんだと思う。販売促進、宣伝広告費で経費計上すれば、みたいな考えで位置付ければ。有償につなげるための無償。というコトは有償無償ともに共存できるワケだ。この「無償」もより幅広く知ってもらうために有償につなげるために戦略的になったりするワケだけども。よりマスのある媒体を利用したりとか。
で、共有についてだけどワタクシが最も内田氏と考えが同じだと思う文章を引用する。
「もし私の書いていることの中にわずかなりとも世界の成り立ちや人間のあり方についての掬すべき知見が含まれているなら〜」
この部分。ワタクシはモノゴトの発想・着想ていうのは自分の全くのオリジナルではなく(ソレは天地創造に等しい!と思う)、何かこう空(くう)を漂ってて、ある時フトその空を漂ってるモノをガっとつかんだみたいなそんなイメージがある。ソレが「ひらめき」というモノだと思う。あらゆる人の頭上に漂ってるけど、自分の今までの人生経験とか蓄積してきた情報によって、ある時ひらめく(=漂ってる何かを手に入れる)。曲作りとかしてる人の「神が降りてきた」とか言うのもそういうコトだと思う。
急にインスピレーションを得るのは自分の中の情報とかと、あと波調とかそういうのも関係するのカモしれないけど、結局その発想やひらめきのモトであるモノというのは、あらゆる人の頭上にある空間(=共有空間)にあるんだと思う。物理学者の小柴教授が自著でも言うように「みんなの上に降り注いでる」のだ。
著作権については、著作権と人が言う時には、釣りで例えるなら、海という共有空間からその魚を釣り上げたのは自分であり、ソレを釣り上げるまでに自分は習練してきた、その部分を認めて欲しい。そういうコトなんだと思う。だからその魚はワシのモノだ、所有物だと。でもその魚をみんなで食べましょう、というのもソレはありで、著作権に関しては人ソレゾレの考えがあると思うので、ワタクシは人ソレゾレの意見を尊重するけども。
ただ1つ言いたいのは、個人的な考えだけども、最近権利を主張する人が目に付くかな〜と。もっと大局的に、長い目で見て、「共有」とか「次世代につなげる」とかいう、長期間でモノゴト見る人が減ってるんじゃないか、とも思う。まだ「個人的な意見とはちょっと違うけど、業界のためにあえて著作権を主張してる」とかならまだいいんだろうけど、目の前の自分の利益だけ見てとかだとね。ソコについても内田氏は言ってるんじゃないかと思う。
はじめにもどるけど、ネットで書籍の閲覧ができるようになれば、内田氏も書いてるように、廃刊した本とかローカルなのとか世界中のあらゆる本、そういうのも書籍名を入力するだけですぐ読めるとか、そういうのはすごく便利だと思うよね。とても家には収まりきれないほどの膨大な本がPC1台あればいいんだもん。結局ネットと実際の図書館なり実店舗は、使い分けするような利用のされ方になるんだよ。