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今日は時間があるので書ける。昨日書いたコトをも少し分かるように書くと、例えば今朝ラジオを流してたら、たまたま所ジョージ×コブクロの曲というのがかかり、「ふ〜ん、どんなんだろ、、?」とは思うけど、さりとてそんなに興味もなく続けて掃除をしてる、という状況。歌自体はまー所ジョージて感じで、こちらも「さりとて」なんだけど、そういうコトにこそ実は何かがかくれてたり。「、、待てよ」と思う。そのとき少しだけファインダーを向けて見る。焦点を合わせてみる。たしかに曲はアレだけど、所ジョージ、、、所ジョージかぁー。あの生き方はいいよなぁー。なんか楽しそうに生きてて。あんな風に生きれたらいいよね、、。
ね、かくれてるでしょ?結局、自分には興味が無いモノゴトでも、その中から興味のあるコトを見つけ出せばいい。こじつけでも何でも、ようは自分の役に立てばソレでいい。今の自分の足しにしてけばいい。
そもそも興味のあるなし自体が理由付けだったりするワケでしょ?もちろん理屈うんぬんの前に「なんとなく、、」とか「感触が、、」とか「生理的に受けつけない!」とかの感覚の部分もあるけど。でも自分の中で培ってきた「ふるい」があるワケでしょ。基準が。ワタクシも流行りのR&BだとかHIPHOPとかてんでダメだけどさ、でもそういうのを好きな人が実際いるんだから、ソコには何かがあるんだよ。
もう今は靴がボロボロだから全然やんないけどさ、ワタクシはスポーツの類はコレまたてんでダメだけど、前に唯一スケートをやってた。その頃はデスクワークの仕事だったので、身体を動かすために。でもスケートに人生哲学を見出したよね。
始めは歩くのもやっとでさ、すべるマネゴトみたいなレベルから始まって、何度も転ぶ。20回は転ぶ。1回目尾底骨おもっきし打って、一瞬頭が真っ白になったのを今でも覚えてる。「ボンっ」て煙が出るんだよ、頭ん中で。で、やっとスピード出してすべれるようになったら、家のまわりを一周してみる。坂が上れないとか下れないとか出てくる。そもそも止まるのがスケートのかかとについてるブレーキでしか止まれずカッコ悪い。アレで止まろうとすると、片側にしか付いてないからカラダがクルってなっちゃうワケ。シャーて止まれるようにする。こうやったらいい、ああやったらいいといろいろ試しながら、1つづつ課題をクリアしてく。できるようになると新たな楽しみが開けてくる。できるようになったから、しばらくはソレで楽しいんだけど、やがてマンネリになってくる。そうするとまた自分に1つ新しい課題を加える。次のワザを覚えよう。その練習が楽しい。
人生てこういうコトだなてやってて思ったもん。だから苦手なコト・分野に1つでもトライしてみるというのも、案外近道だったりするんだよね、きっと。
夜、親と話す。さすが自分にとっての現実面を象徴する・司(つかさど)る存在としての言葉。せっかくいけいけモードにだいぶなってたトコロに水を差す、というか親の案におおいに悩む。
就職して、今持ってる資金を元手に住宅ローンを組んで家を持つ。ローンを払い終えて、いい年になったら家を売り払ってそのお金で店をやるのもいい。ワタクシが考えてたのは、家を改装して自宅カフェにするという案。コレなら残るモノ(資産)がある。どちらにしろ先の話&就職するのが大前提。今、大枚はたいて店やって、失敗したら何も残らない。でも今ワタクシは自由な1人身だ。好きなカフェのオーナーさんは「今がやるべき時」と言う。どっちも分かる。分かりすぎるぐらい分かる。う〜む、、。
ちなみに親は61で、オーナーさんは35。この辺の関係も考えに影響が。かたや人生上の経験から「こうすれば良かった、、」というニュアンスが含まれた含蓄であり、かたやワタクシと同じように人生コレからだ。人間必ず勝負する時がある!
人は死ぬ。いつか死ぬのは決まってる、けどいつ死ぬかは誰にも分からない。長く生きる保証は無いけど、生きるのカモしれない。60になってできる保証はどこにもないのも重々承知。今の歳の方がいろんな意味でフットワークが軽いだろう。今はソレが少しだけ競り勝ってるが、ソレも歳が若いから言えるコトなんだろう。たぶんオーナーさんもかつてどっちかの、究極の選択をしたはずだ。ダメだったら働けばいい、就職すればいいというくらいの考え。
現実主義vs楽観主義の一騎討ち。
とりあえず死ぬまで生きるのだけは決まってる。ソコが問題だ。
今、TVでカフェの話してるなぁー。やっぱカフェやれてコトかなぁー。音声だけだから詳しくわかんないけど、なんかインドの人が仲間同士で地元でチャイの店をやるみたいな内容。保証金がナントカとか言ってるよ。立地でモメてるみたい。
もう1人相談しよ。