言葉がたりない。
ワタクシはタバコを吸う人ではない。親がヘビースモーカーで、いつもその煙に包まれていたのでその反動で全く吸わない。にも関わらず、ワタクシがカフェをやろう!と決めてから一番最初に浮かんだアイデアとは「いろんな灰皿をそろえて、お客さんに好きなのを選んでもらおう!」であった。
先日『コーヒー&シガレッツ』を観たが、あれも近いうちに「古き良き風景」になるのだろう。いまや本場のアイリッシュパブでさえタバコが吸えなくなりつつある。喫煙者が自由にタバコを吸える場所は限られ、喫茶店やカフェは「最後のオアシス」になっている。でも現在のその状況を誰が作り出したかというと、ソレは喫煙者に他ならない。ワタクシは喫煙者が、自らのクビをしめた結果だと考える。
ある日、いつものカフェでホゲーっとしてたら、となりの席に座ってたおばあさんが「ごめんなさいねぇ、うるさくないですか、、?」と恐縮してたので、なんだろ?と思ってたら、耳にイヤホンをしてたのだ。「あーコレかー」と思い、別に音も漏れては無く、ソレより何よりまわりの方がぜんぜん騒がしいので「いやいやいや、とんでもない、、」とこちらもやや過剰に反応してしまった。たぶんこのおばあさんは自分でも「イヤホンの音漏れの不快」を経験して、言ってくれたのだろう。昔の人はこーいうトコロはしっかりしている。言葉は悪いが、がさつで騒がしくても、モラルやマナーみたいなトコはしっかりしてる人はしっかりしている。ソコは今の若者と違うなー、なんて思ったりした。
でも喫煙者のみなさん、こーいうコトが必要なんじゃないですか?今ケータイがどーのとか迷惑だとか言われてるけど、喫煙者は言う資格ないよッ!と思う。まぁケータイも厳密に言えば、電磁波がペースメーカーを狂わすとか健康に害すモノではあるけど、タバコの煙は匂うは、目に見えるはでこっちの方が明らかに有害度が高い。人が近くにいたら、明らかに近くにいる人にも有害で迷惑なコトなのに、悪気なく平気で吸う。なんのことわりも無く!だから赤ちゃんや子供が近くにいても、平気で吸ってしまう。
ましてや喫茶店やカフェというのは「みんなが『共有』する空間」である。たまにお金払ってるんだから、何したっていい!」と勘違いしてる人がいるが、何したっていいほどのお金は、残念ながら払っていない。ある意味、何したっていいのはその店のオーナーか、その店が借りているモノなら大家さんのみである。少々譲って言うなら例えば「その日その時間、お店を貸しきる」というコトなら、まだその権利は発生するカモしれない。お客さんは、イートインなら「商品を買った方は、席に座ってその商品を食べたり飲んだりする権利」を購入しているだけなのである。一時的に借りてるだけなのだ。その権利は他のお客さん方にも、もちろん等分にあるモノなので、他の人の権利を害する、迷惑行為はできない。もし他の人の権利を害するのなら、その人にお金を払い、権利を売ってもらわなければツジツマが合わない。そこで「お店はみんなで共有する空間」という概念が出てくる。あくまで店主がお客さんに「許可」を出しているだけなのである。
ワタクシがカフェを作ったら、ワタクシのカフェでは↑の「最後のオアシス」というコトから、タバコは吸えるようにしたい。そもそもカフェの存在(特に外国のカフェ)てそーいうモノだと思うからだ。ワタクシが「本物志向」のコーヒー専門店についてひっかかるのは「コーヒーの香りの邪魔になるから禁煙」という点である。たしかにソレは分かる。でも人には人ソレゾレ、休息の仕方がある。ソレをできるだけ尊重したい、と考える。ソレが専門店でも喫茶店でもない「カフェ」のあり方、だと思う。
ただし条件がある。ワタクシが店内でウルサク言うコトはしたくないが、せめて自分のカフェではタバコを吸う前にとなりの人に「タバコ、吸っていいですか?」と一言欲しい。こー言われたら、例えとなりの人が「ヤだな、、」と思っていても「あぁ、いいですよ」と言うはずである。もしとなりの人がぜんそく持ちだったらどーするのか。言葉1つあるだけで、お互い悪い気はしないはずだ。お互いに気分良いではないか。ソレがメンドくさい、と言うなら吸うな、というコトである。明らかに吸う人は「確信犯」なのだからせめてもの「一言」である。自分の欲求を一刻も早く満たしたい、とせっついてる姿より、よっぽどスマートではないか。紳士たれ、である。その方が「できる人」である。
で、やがて自分のカフェで一言言うコトに慣れたら、言葉がスっと出るようになったら、店以外の「世の中」でも当たり前にやってくれたらな、ごく自然に、おくするコトなく、口をついて出ればいいな、と願っている。スマートにふるまいましょう。