『コーヒー&シガレッツ』を観た。
ぎくしゃくしている、ぎこちない、なんともいたたまれない、、この映画を観てるとそんな言葉が浮かぶ。男2人、または男女、または女同士。会話が噛み合わない。はずまない。ノリノリで自分の話に夢中になる人と、かたやうんざりしながらもなんとか耳傾けて聞いてる人。その場からできれば逃れたいが逃れられない。間を取り繕う。話すコトを悪く悪く受け取る人。テーブルにはコーヒーとタバコ。間をつなげるためにタバコをすすめる。吸う。吸いながら次に話すコトを探す。頭の中を猛スピードで駆け巡る。間をつなげるためにコーヒーを飲む。飲みながら次に話すコトを探す。コーヒーとタバコは、このなんとも言えないブザマな空気の中であえぐ2人の「息継ぎ」であり「句読点」であり「緩和剤」である。酒ならパーっと明るく、丸裸にもなれようが、そこはコーヒー&シガレッツ。ソコまでは逃げられない。
外国の人がコーヒーを飲む姿というのは、やっぱり日本人がカッコつけて飲むのとちがうな〜、サマになるよな〜なんて印象だったのだが、劇中の彼らはそーいったイメージには程遠く、コーヒーを「飲む」というより「すする」印象に近い、とワタクシには思えた。角砂糖を「おいおい、何個入れるんだよ!」というぐらい入れて、チャチャっと指でかき回すヤツもいたり。バツの悪いカッコ悪さを、コーヒーとタバコというアイテムがなんとかある一線を超えないでギリギリキープしてくれている、そんな感じだ。まぁ人が2人集まれば大体こんなモンなんじゃないかな。会話のキャッチボールがうまくいって喜んだり、一喜一憂して。その辺は外国人も日本人も変らないんだなー。日本人は曖昧だてよく言うけど、この部分に関しては外国人もそー変らないていうか。ハッキリ「NO!」とかさすが言えずに、ユーモアとかしょーもないジョークで切り返して、なんとかその場を取り繕うていう。そのユーモアとかジョークが、逆に火に油を注ぐ格好になって、余計空気悪くなったり(笑)。ま、人生なんてこんなもんよ。
10分程の短編が11本、という映画なのだが、全編こんなぶきっちょな感じで、観る人を選ぶ。となりの人はカラダ動かしまくってて、いかにも退屈そうだった。この映画は実際にカフェとかで、となりの席でダベってるのをなんとはなしに聞いてたり、そーいう状況がワリと好きな人じゃないと観れない。ホントにそーいったカフェの空間が好きなのか、ただ「なんか『コーヒー&シガレッツ』てカッコよさげー」ていう雰囲気だけで観に来た人なのかが分かる「リトマス試験紙」みたいダナ、なんて思ったりした。
コーヒーやタバコ、お酒、そして音楽なんかも嗜好品で、必要なモノじゃないと言うけれど、じゃあ日本人の主食であるとされているお米を、毎日食べているかと言えばそーでもない。むしろワタクシなんかはコーヒーの方が、毎日飲んでいる。お米は1年で350日ぐらいカモしれないが、コーヒーは365日だ。大体、必要でなくムダなモノならこの世に存在しないではないか。誰かが必要だからこの世に存在し、今もなお残りつづけている。ソレが嗜好品なのだ。退屈な時間や会話、人間関係を支える重要な、愛すべき存在として。
ちなみにワタクシはいたたまれない空気を作るのが大得意です!みなさん、コーヒーを飲みましょー!!(なんだこのシメ:笑)