『棚の隅』を観た。
いずみさんのライブが夜なので、その前にシネマアートン下北沢で上映されてる『棚の隅』を観に行った。
『棚の隅』にはいずみさんの旦那さんである俳優・映画監督の榊英雄さんが出演してる。この作品では監督ではなく俳優として。劇中とエンドロールでいずみさんの曲『つまらない世界』も使用されてる。その関係で観たワケだけども、まずはこのアートン。いつも外からは眺めてたんだけど、館内に入るのはワタクシは初で、いろんな店が雑居してる建物の2階にある。館内は50席もなく(42だったかな?)ソレはちっちゃいミニシアター。シンプルな線だけどデザインチックな、可愛いイラストのポスターみたいなのが壁にかかってる。そのイラストが自分のテイストに合ってて、こういうコンパクトな空間は好き。なんかこういう「おらが町の映画館」ていいよね。贅沢感があるし、裕福な気分になる。
でもこの場所はシモキタの再開発計画にかかるので、いずれなくなってしまう。
映画を観て思ったのは、現実というのは、とても分かり易い形でいつでも目の前に立ちはだかる。だから現実は時に残酷で、心を絞め付けるほど苦しいコトもある。ソレでも逃げないでちゃんと向き合って、正面から対峙して、そのカベ(障害)を乗り越えるコトで、現実というのはあったかく優しいモノに変えるコトもできる。現実を変えるコトは可能なんだよ、というコトだね。
コレは立場によって、いくつか感想は変わってくると思うんだよね。家族を持ってる人持ってない人、親の立場とか過去に似た経験があるとか。『棚の隅』て題名から、棚の隅をほじくりだして、、ていうね、ほじくったってね、スミッコの見えないトコロに押しやってたモノゴトをわざわざ蒸し返さなくてもいいのに、ていうのはあるけど、でもそういうもう「過去」のコトだと思ってた、「過去」のコトにしてたコトも、いつでも「現在」の時間に、目の前に簡単に立ちはだかってくる。ソレはやっぱり乗り越えるべき事柄なんだろうね。試練とでも言うか。そういう何度も同じようなコトが浮かび上がってくるというのは。
主演の大杉漣さんの存在は大きいよね、さすがに。眼差しとか表情、顔のしわ、微妙に曲がった背中とか。大杉さんが醸し出す空気と、撮影してるカメラのレンズかフィルムか分からないけどそのトーンが合ってるのね。そのトーンが作品を支配してるし、この映画を「作品」にしてる気がする。そういうトーンの中で各俳優の方々の存在がスポっと当てはまるというね。
榊英雄さんのコトは今までホトンド知らなかったんだけど、ちょっと軽め(に見えた)の役でね、ああいう感じのが多いのカナ?この作品で言えばみんなが主張!とかみんな光り輝いてるとかそういうモノではなく、みんな足して「1」になるような、そんな感じの作品だから、そういう意味では色を添えてて良かったと思う。いずみさんは、旦那さんが出てる映画を観る、てどういう気持ちなんだろうね?別の人だと思うのかなぁー。なかなかそういう奥さんてのもいないでしょうから。
観終わった後は、あったかいいい感じで街中を歩ける、そんな映画。