過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
かたことの極私的「雑誌系」サイトです。(since 2004 Feb.)

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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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貫く。

最近MXTVやらNHK衛星でなつかしアニメをやってる。MXではあしたのジョー2とか新巨人の星ドラゴンボールZ、ポケットの中の戦争。NHKではハイジと赤毛のアン。ハイジはもし「ストーリーてどんなんだっけ?」と聞かれても答えられなさそうなアニメのうちの1つだったけど、あらためてよくよく見るとあーこーいう話なんだーというのを知った。今はクララの家(お屋敷?)にハイジは暮らしてるのだが、コレがどういうきっかけで山に戻って例のクララが立ったにつながるのかまだ分からない。
赤毛のアンもいまいちどんな話だっけぇ?ていうアニメだったけれど、今回ワタクシも大人になり、あらためてオトナの視線で見るとケッコー面白いもんだなぁー、と。ダイアナて酒グセ悪いんだなーとか(笑)。でもちっちゃい頃はダイアナの方が好きだったと思うんだけど、今あらためて見ると伸び伸び生きてるアンの方がいいなぁーと思う。
今現在はアンがグリーンゲイブルズに引き取られてから1年が過ぎてるが、グリーンゲイブルズにやってきた時のアンに比べて随分大人になったな、と思われる。アンといえば超妄想癖で感情豊か、気持ちのアップダウンが激しい女の子。現実主義者のマリラと何でも受け容れて人の優しい、ウラを返せば主張がなく、いや主張があってもソレを口にするコトはしない照れ屋のマシュウ。この2人は兄妹なのだが、そもそもこんな真逆とも言える性格の2人がいっしょに暮らしてるコト自体「おつかれさん」て感じなのだが、ソコにまた新たなアンというキャラクターの激しい娘がやってくる。
小さい頃はマリラてやだなーて思ってた。リアルタイムで当時見てた人もそう思ってた人は多いと思う。でもマリラもかなり早い段階でアンの個性を認めてるんだな、というのが今だと分かる。ただそのコトをマリラ自身が認めたくないので、その気持ちを打ち消そうと照れ隠しでアンに冷たい態度を取ったりしてる。アンの存在を認めている自分に驚いてる。自分の人生哲学にそぐわないアンの生き方。ソコにマリラも羨ましいという気持ちを持ってる。羨ましいけど自分にはできないというのも解っている。ソレはマシュウもたぶんおんなじだ。自由奔放にグリーンゲイブルズの家の庭を駆けまわるアンを、二人は家の中でお茶を飲んで窓ごしに見ている。二人はソレが幸せだと感じている。
最初は異端だと思われるカモしれないけど、ソレはそのまま自然にナチュラルで行けばいい。やがてマリラみたいに理解を示す人は必ず出てくる。コレ書いてて、マリラは大人だからアンに対してこういう反応だけど、もし子供だったら今盛んに取り出さされてる問題になる可能性はあるワケだよね。ナチュラルで行けるか行けないかてのが、今世間で問題になってる事柄の分かれ道ではあるのだけど。アンみたいな思考回路だと、気持ちが上向いてる時はいいんだけど、下向きの時は手がつけられないほどとことんネガティブになる。ソレは困ったモンではあるけど、でもアンは大人になって何になったんだっけか?絵描きだったっけ?違ったかな?
アンの強烈な個性は意識的なモノではなく、自然なモノだから「貫く」という表現は合わないと思うけど、個性を貫くという、コレは意地だよな。自分を貫く意地を持てるかどうかにかかってるワケだな。ソコを親やまわりでその子を見てる人は、その子が自分自身に不安を抱いてる想いを汲み取って、救い上げていかなきゃいけないと思う。
そいえばアンが言ってたけど、自分の髪が赤毛でにんじんだってバカにされかつては泣いてた。一年が過ぎて自分たち学生が創る芝居で、アンは自分がやりたかった女王にはなれずに妖精の役になったんだけど、クラスメイトに赤い髪の妖精なんていないとバカにされる。でもそういったその子もふとっちょの子で、まわりにつっこまれる。かつての自分なら泣いたりケンカになるトコロを、アンはソコで「お互いこっけいな妖精同士がんばりましょう!」と切り返す。このユーモアのある切り返し、こういうセリフが返せるアンを見て「大人になったなぁ」と思った。たぶんアン自身もバカにされてただ泣く自分がイヤだったのだろう。社会においてこういうしたたかな生き方てのは必要だ。したたかてのは「強か」と書く。
コレはまわりのフォローもある。まわりがアンのコトを認めてるからだ。認めてるてコトはアンは意識してではなくナチュラルではあるけど、自分を貫いている。だからまわりが認める。もしコンプレックスがあると感じてるなら、ソレを逆に人から羨ましいと思われるぐらいのレベルに「磨き上げる」のも、考え方の1つだと思う。そのコンプレックスは些細なコトで、ソレよりも得意分野で自分自身をレベルアップさせて、アンで言うなら「赤毛であるとか関係なく、アンそのものがいい!」という人が言わせるトコロまで昇華させていく。そういう考え方もある。生きるには自分を認めさせる意地を持たなければいけない。ソレが自分の居場所の確保につながる。
いずれにしろ、意地もなく中途半端に貫くコトをやめてしまったなら、いつまでもくすぶったままである。そのくすぶりは生涯なかなか消えるコトは無い。