白髪のアン。
ja.wikipedia.org今、ワタクシが毎週1番心待ちにしてるテレビ番組といえば、TOKYO MX(関東ローカルなのかな?)で再放送している『赤毛のアン』だ。今調べたら某動画サイトにも上がってるようなので、全話一気見しようと思えばできるんだろうけど、ワタクシはこういうのは当時リアルタイムで観てた擬似感覚も楽しみたい人なので、あえて毎週録画しては1話づつ観てる。
何度かこのブログでもツイッターでも書いたと思うけど、ワタクシはこのアニメ『赤毛のアン』が大好きである。本放送当時リアルタイムでも観てたけど、まだ子供でもあったので、そのときはなんとなーくダイアナが好きだった。その「好き」というのは、とくに恋愛感情とかではなく、「ガンダムが好き」とか「唐揚げが好き」とか、そういう嗜好的なモノと同じ意味での「好き」である。
まずダイアナのほうが色味が良い。日本人に馴染みやすい黒髪で、瞳孔が黒目で、その黒髪に映える赤いリボンで、服が黄色で可愛い。性格的にもスタンダードな女の子ぽい。対してアンは、ワタクシは赤毛は別にこの物語の主人公としての最大の特徴なワケだから好き嫌いはないし、そばかすもソレほど気にはならなかったけど、眼が大きくおでこが広く、というか頭が大きくやせっぽちで、なにより四六時中しゃべりっぱなしで、「こりゃあマリラじゃなくても『やれやれ』だわ」という感じで、どちらかというとあまり好きではなかった。
でもこの歳になってあらためてアニメを観ると、断然アンのほうが輝いて見える。コレならマシュウがアンにくびったけでアンの存在を全肯定するのも分かるし(マシュウにとっては「遅れてきた青春」なんだよな)、マリラはマリラで「あの子がいない生活なんて考えられない」と、はじめとは人が変わったようになるのもうなずける。当時は「単なる口うるさい嫌な感じのおばさん感」が強かったのだけど、話数を重ねてくにつれてマリラの心の変化が画面のこちら側に伝わってきて、そういうトコロも観てる側からすればココロを揺さぶられる。
なんて前置きをクドクド書いてきたけど、ようはワタクシは「アンになりたい!」と思ったのである。
たとえば音楽をやってる人なら、憧れのミュージシャンがいるとか「ああいう音楽やりたい」とか思うコトがあっただろうし、スポーツならその道のプロの有名な選手だとか具体的な人を目標にして自分の道を定める、という憧れの人や具体的なロールモデルとなる人がいる人もいるだろう。そういう人やモノを早くから見つけられた人は、迷いなく、その目標とする人やモノに向かって人生を歩んでいけばいいのだから、そういう人生は幸せだろうなあ、とワタクシはそういう人たちを常々うらやましいと思ってる。ワタクシにはそういった憧れの人やロールモデルとなる人がいなかった。
「この人いいな」「この人面白い」とかそういうのはあるけど、別にその人になりたいワケではない。あくまでその人が着てるからその服が似合ってるのであって、その服をワタクシが着たいワケではない。その服が似合うワケでもない。探してるけど、ついぞや「こういう人になりたい」という人が見つからないまま、この歳まで来てしまった。そういうモデルがいないから、自分で探り探りで(体よくいえば「オリジナル」で)、己でヨレヨレの道を切り開いていくしかない。地図が何も無い状態で、でっかい迷路を進まなければならない。そういう迷走状態で、今の今まで生きてきた。
でもやっと見つかった。ソレが前述の「アンになりたい!」なのだ。
別にジェンダー的なコトでもなければ、外見がそうなりたいワケでもない。もういいオッサンなので笑、「天真爛漫」とまではいかないにしろ、できればアンのように明るく素直な気持ちというか性格というか心持ち、でいたいなーという。アンになりたいというか「アンを自分の心に住まわせる」「自分の中の『アン』を解き放とう!」という気持ちである。といっても自分に無いモノをムリヤリ欲しがってるワケでもなく、もともと自分の持ってる資質がアンに似てるなと感じる部分があるから、そう考えるのである。夢見がちで、地に足が着いてないトコロがあるからこそ現実世界では失敗しがちだけど、多少はソレでいいじゃないと。その部分をもっとアン寄りに膨らまそう、というコトである。
この先、生きてく上で何か立ち止まったりしたときに、自分の中のアンに立ち戻るコトで「自分はコレだ」と迷わずに歩いていける気がする。ほんの些細なコトだけれど、そういう指針を得られたというコトが嬉しくもあるし、心強くもある。
自分の中のアンを意識してイメージして、アンのように大きく目を見開いて世の中を見回したら、多少見る世界が変わってきたように思う、今日この頃である。
あとは、なんだかよくわからないコトでも面白がって付き合ってくれるダイアナのような存在や、アンの存在を全面的に受け入れてくれるようなマシュウ、のような人が1人でもいればいいなあ、と思う。ソレだけでこの世はおおむねハッピーに生きていけるんじゃないだろうか。