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女王の教室The Book 日本テレビ 日本テレビ放送網= 日テレ= 関連商品 女王の教室 o.s.t 女王の教室 DVD-BOX 女王の教室 ザ・ブック エピソード1&2 by G-Tools |
このように今の世の中に足りない部分というのは、昔ながらのいわゆる「名作」と呼ばれる読み物に書かれてる場合が往々にしてあります。子育てに困ってるお母さん方、子供に対して言葉でどう言ってあげればいいのか分からない、自分も答えが分からないことをどう教えてあげればいいのか、自分じゃ言いにくいこと、などを本を通して子供に教えてみてはいかがでしょうか。本に代弁してもらうのです。分からなかったことは子供と共に自分の勉強にもなります。神様じゃないんだから何も全てのことに答えなければならないという考えは持つ必要はありません。子供と共に学んでいけばいいのです。むしろ子供に対しては問題提起のレベルで留めておいてもいっこうに構わないと思うのです。今は情報過多で物事に対しての答えがすぐ手にできます。何事も分かり易いばかりが能じゃございません。考える時間を無駄と考えるのは大人だけで結構です。子供は自分で考えることが重要なのです。
例えば2週間に1冊、親子で同じ本(ということは子供と親の2冊)を読んで、読んだ本について感想や意見を話し合うのです。走れメロスを題材にあげるとすると、メロスはどんな気持ちで走ってただろうとか、セリヌンティウスはどんな気持ちでメロスを待ってただろうとか、王様の気持ちは?まわりの観衆は?など子供に他者のことを、いろんな視点で考えさせる習慣を学ばせるのです。自分内の思いこみに留まらずに、こういったように子供が考えたことを親に言葉で言うことが必要なのです。親も同じように子供に感想や意見を述べます。そして2人で出し合ったことを箇条書きにして親が書きとめておきます。正解はありません。ただこういう子供と親が話し合う時間というのが必要でイコール教育であり、愛だと思います。
わたくしたち大人は利便性のため、スピード重視型の生活を日々送っていますが、子供にはスピードは必要ありません。世の中のスピードに流されないように、より丁寧に子供を見守っていく必要があります。「見守る」という言葉を使ったのは、「監視」ではないからです。かといって放任主義という名のほったらかしでもございません。主義なんてかっこいいこと言ってますが、そこに哲学はなく、子供の方に目を向けていないのです。子供不在で愛がありません。しかし大人がレールを作ってあげるのでもありません。子供が自ら前を向いて歩いていく、その姿を見守ってあげればいいのです。そして歩いてる本人には時々、自分の進んでる方向が正しいのか分からない時があります。足を踏み外しそうだなぁと思った時は、俯瞰で物事を見てる大人の目が頼りです。その時にこそ手助けすればいいのです。だんだんこの見守る距離を広げていってください。それが子供に対する信頼につながります。親自らが先頭に立って子供を引っ張っていくのではなくて、あくまで子供のフォローに徹してください。
何事も「矢継ぎ早」というのはいけません。阿久津先生は生徒に何かを言う時、間があります。あのほんの少しの時間で「この子に言うべき言葉」を自分の中で考えています。そこが愛なのです。矢継ぎ早に言葉を重ねていく、そこに愛はございません。
エピソード1&2を見て分かったのは、本編の阿久津先生は自分の受けた数々の経験の集合体だったということで、それをみずから体現してたんだな、ということです。阿久津先生の存在が生徒に対しての問題提起そのものだったのです。その大きな問題に生徒たちはどう考えていくか?その存在を自分の中でどう位置付けしていくのか?どう理解し解釈するのか?そしてよりマクロ的に見ると、この番組自体が我々視聴者への問いかけだったわけです。
自由というのは野蛮です。管理されていないから凸凹してるわけです。人々の個性もむきだしです。そこには光もあれば影もあります。さらに今現在の日本は全くの自由というわけでもない非常に中途半端な状態で、その半端さ加減が人を生きにくくしています。そんな世の中だからこそ、機転を利かせる術を身につける、視点を変えて考え方を変えて突破していくことが大変重要なのです。
「イメージできる?」「いい加減、目覚めなさい!」などの阿久津先生のセリフが一部の学校で流行ったようです。子供が、自分がやってることに対してこれでいいのかと疑問を持ったりした時に、これらのセリフが子供の心の中に飛来してくれば、それで製作者側とすれば本望なんだと思います。その時、立ち止まって考えるのです。そういうセリフ群は「黒い天使」だと思います。わたくしたち大人はただ「黒いから子供に見せないで!」とわめきますが、子供たちはちゃんと「天使」の部分を感じ取っています。女王の教室の映像はたしかにインパクト大ですが、あれほどのインパクトがあっても大部分は時の波に流され風化してしまうでしょう。それでも幼い時にああいったインパクトを与えられて、しかしちゃんと無意識的にでも天使の部分は感じとって、自分の中でことあるごとに考え悩み一所懸命解らないことを噛み砕いて何とか理解しようとします。
わたくしはよくあるんですけど、デリダとか橘いずみさんとか。例えその時は理解できないことが、時が経てば自分の中で答えが導き出せる時がいずれ訪れます。その期間は人によってちがいます。10年かもしれませんし20年かもしれません。ただそうやって自分で答えを導き出すというその行為が重要なのです。
『スイミー』(http://d.hatena.ne.jp/katakotocafe/20050416/)を知っていますか?わたくしはあの話が好きです。あれはひょっとしたら人種差別問題も含まれてる話なのかもしれません。まわりのさかなたちはみんな赤いのに、自分だけが黒。もし自分が黒いさかなだったら、自分の存在をどうとらえるでしょうか。スイミーのように、環境や運命に抗えないなら、機転を利かせるのが自分の命を存続させることにつながるのです。今はオンリーワンという考え方が半ば常識になってことあるごとにオンリーワンオンリーワンと言ってますが、そこにたどり着くまでの過程を、自分で悩み考えてなくとってつけた答えだから、それは非常に薄っぺらくもあります。考えてそこにたどり着いた人とおなじ「オンリーワン」でも重みがちがいます。そういった意味で、考える機会すら与えられずに答えがすぐそこにある、という状態は子供たちにとっては、逆に可哀相でもあります。食べやすいものばかり与えるのではなく、根菜など食べにくいものを与えるのも、アゴを鍛えるのに必要なことです。
長くなりましたが大人ができることといえば、とにかく子供自身に考えさせることです。そこを大人は慌てさせずに、時には立ち止まりいっしょになって考え、見守っていくのです。そうすれば自分以外の他者も大事だし自分も大事(このバランスが重要)、全て平等に考えることのできる頭を持てると思います。
「愛と平和」というのはたしかに究極奥義だと思いますが、そこへ行くまでには、必要な一歩を踏み出す勇気と希望、これを持つことが大事です。そして寛容。寛容と書くと若干、責任も出てきそうなので「許す」という言葉を使ってもいいでしょう。他者の存在を見止め許すのです。受け入れるのではありません。そこまで広いふところの持ち主ならいいですが。人という生き物は他の自然物と同じように、この星で生きることをこの星自身が全ての人に平等に、存在することを許しているのです。人はこの星で生きることを許されてるのですから。
ちょっと宗教的な言葉を用いると、「徳」を積んでいく修行が人生の使命だそうです。人が自分のステージ、人間性のレベルを上げることを誰も妨げる権利はない、ということです。生きていくことでいろんな物事や人に出会って人間性を高めて行くのです。いろんな物事や人に出会って、スイミーのように機転(ひらめき)を利かせて、世の中をしなやかに、ワクワク楽しく生きられたらいいもんですね。