良い≠おいしい。
今朝TVを見てたら、出演者らがいろんなトコの豆腐を食ったあげく「コレは豆腐じゃないね!別の食べ物ダヨ!」と絶賛していた。男前豆腐とかあるでしょ。知ってる?あの辺のヤツを。でも作ってる方からすりゃ「いやコレが本当の豆腐ナンダヨ!!」というトコロだと思う。今までの豆腐は豆腐じゃないと。ようは出演者らの、豆腐の概念をくつがえしたワケでね。
コレはそのまんまコーヒーにも当てはまるコトで、ホントにうんまいコーヒーを飲めば「今まで飲んでたコーヒーはなんだったんだ?!」というコトになるワケ。そーなるともー後戻りはできない。そのコーヒーがベンチマークとなって、今まで飲んでたコーヒーはコーヒーではなくなってしまう、というワケで。だから逆に美味しいモノを食ったり飲んだりするてのもコワかったりするなー、とも思う。カイバラユーザンみたいになっちゃうよな、みたいな。ソレ以外は飲み食べできなくなる=だんだん飲み食べできるモノが減ってしまう。
でもワタクシはね、何もそゆモノばかりが合格!とかそんなんでもなく、伝わりやすい言葉で言えばいわゆる「B級」なモノでもB級なりにいいトコあるよ、とも思う。ただ自分の中で基準はある、というコト。その基準と照らし合わすと味が落ちるけど、コレはコレでいいとか、質はナンだけどバランスはいいとか、ソレはいくらでもある。E=mcの2乗ならぬ、良い=おいしいではないのですな。アインシュタインの相対性理論は当てはまらないワケである。
たしかに作る側とすれば「良いモノ」を提供したいという気持ちはコレ、当たり前。ただソレが他人にとって「おいしいモノ」かどうかは別問題。「おいしい」というのは人ソレゾレの味覚なので(もちろん味以外の要素もある)、作る側がいくらおいしいからつって提供しても、口に合わない人は必ずいる。逆にB級C級ジャンクフードの類がその人にとって究極にうんまい場合もある。某牛(豚)めし店のカレーが一番好き!とか言う若者もいるし。。
ただコレだけは言えるのは、提供する側からすれば「コレはおすすめしたい!」と思うモノでなければ自信持って提供できないしね。思い入れのある商品じゃなければずっと売るコトなんてできないし、ましてやお客さんからお金もらうコトなんてできない。自分の価値観をその商品を通してアピール&共有できるワケだから。ソレを買ってくれるのだから。
♪今朝の皿洗いBGM♪
スピッツ①流れ星 ②愛のしるし ③スピカ CUNE①リフレイン
PSY・S①私は流行、あなたは世間 ②Woman・S ③サイレント・ソング
④Lemonの勇気 ⑤Angel Night ⑥CHILD