店舗起業支援塾③。
はい3回目。なんかもーコレが1週間の基点になってしまったというか、平凡な1週間のうちのちょっとしたイベントごとみたいな、そんな2時間という自分の中での位置付け。楽しみ。
今回は自己適正分析の後半で、本来の自己分析をしましょーというコトだったんだけど、実際は自己分析てのは時間がかかる。起業に自己分析が必要な理由は、自分の好き嫌いや長所短所、得手不得手を主観的でいいから知っておくコトで、自分のやりたいコトや進みたい方向に対して、何が足りないのかや自分が何に興味があるのかが明確になる。ソレをビジネスの展開に役立てていくコトが重要で、産まれてから自分が今まで歩んで重ねてきたコトを時系列を追って、書き出していく作業が必要になってくる。今までの自分を見なおすコトで、自分の行動パターンや性格、未来の自分のあるべき姿、こうありたいと思う姿にどう結びつけるかだとかの予定が立てられる。ようはライフプランをビジネスと絡めて考えてみよう!とこーいうワケ。最初は「えー、メンドくさい、、」て思うんだけど、「楽しんで書きゃいいんだな」と、こー頭を切りかえましょー。
先生はいろんなトコロでこの講義をしているらしく、例として短大生の書いてきた自己分析とライフプランのプリント(コピーしたモノ)を見せてくれたけど、ビッシリ書いてあること!何才で結婚して、何才で死ぬ(!)まで書いてある、もー自分で決めちゃってるていう。でもいいんだって、勝手に自分で決めて。もちろん何でもそーだけど、他人が絡むから決めたようにはなかなかならない。でも人ていつ死ぬか分からない。分からないんだったら、100才だろーが、200才だろーが生きる予定を立てるのは全くの自由。先生は85才(日本人女性の平均寿命)まで、ハイヒール履いて現役で働いていたいんだそうだ。そーいうのていいと思わない?ちなみに先生の旦那さんは74才(日本人男性の平均寿命)で死ぬんだそーだ(笑)。殺すきかーっ!みたいな。
あの、「今を生きる」て、こーなんか借りてきた、取って付けたみたいな、なんかしっくりこない言葉があるんだけど、アレてワタクシはいわゆる一般的な解釈とチョイ違うんだよね。一般的にはなんかこーメメントモリてんですか?よく知らんけど、人間はいつか死ぬから、「今」いう時をしっかり生きましょー、てこーだと思うんだけど、世間一般的な解釈の仕方だと、なんか刹那的というか、「今さえ良けりゃいいや!」みたいなイマドキの若者風なね。ちょっとネガティブさが基点の生き方て感じで、まぁたしかにそーなんだろけど、イヤだな、と思ってしまう。明日死ぬカモしんない?じゃー明日生きてたらどーするの?と。
たしかに死ぬ可能性もあるけど、生きている可能性もある。フィフティーフィフティー。運命は2つだけど、人生は1回こっきり。未来は誰にも分からない。だったら「生きてる」と過程しての自分がどう生きたいか?というコトを計画立てるのもありだよね。自分の生き方をデザインするんです。考えるのはタダだから。立てた計画や目標が達成できずに、志半ばで朽ち果ててもソレはソレでもいいじゃない、て思うな。ソレがヤダからその場限りな、一話完結な生き方という解釈をしてしまうんじゃなかろーか、と思ってしまう。もちろんそーいう生き方もあるけどね。でもそーいう生き方は「逃げ」です、後ろ向きな生き方です、とワタクシは思ってしまうんだな。第一、希望がないじゃない。未来を自分で抹消してるんだから。今日よりも明日もっと良くなるように、とそーいう意味で「今」という時を精一杯生きる。100m走を120m、200m走り抜ける気持ち。未来のあの位置に立っていたいから、逆算して今はコレをしっかりやる。「今を生きる」てソレが真の解釈だと思う。自分の人生にどんどんよくばりになろう。
日本人は農耕民族だから、春に種まいて秋に収穫する、というような長期の展望とかの考え方は向いていると思うんだよね。あせらずにじっくり育てる。アメリカ人は狩猟民族だから、ハラ減ったら獲物を獲りに行く。お腹いっぱいになったらソレでOKという、まー一般的な「今を生きる」てこっちみたいだよね。目標達成とか計画立てるとかもアメリカ人的な考えというか、狙い定めたらガーっと突き進む狩猟民族にバッチリ向いてる方法なのカモしれないけど、我々日本人も彼らのいいトコロは学びましょー。せっかくアメリカ人のいい面を知ってるのなら、そーいうトコは積極的に取り入れ、我々は農耕+狩猟のハイブリッドでまいりましょー、とそーいうコトでしたね。