過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

ジャックと豆の木。

デリダが死んだ、というコトを立ち読みをして知った。10月9日。膵臓ガン。享年74才。デリダという人はワタクシにとって単なる小難しげな哲学者を越えた存在である。まだ歴史上の人物、ではなくあーいった人がこの現代に生きている、という事実がワタクシにとって痛快だった。同時代を生きられて良かったとさえ思う。
前にも書いたけど、ワタクシがボンヤリとまだ言語化できていない違和感を、デリダは見事に言い当ててくれた。ワタクシのはるか彼方前方を歩いていた人なのだ。
ワタクシがデリダにたどり着いた大元の要因に「コミュニケーションべた」というコンプレックスがある。ただソレは「作られた」モノである、というのもワタクシは知っている。ワタクシは3、4才ぐらいまでは世間一般でいう「明るい」子供であった。だがもーココで挫折を味わってしまった。この若さで。まわりに受け入れてもらえない、という思い。ようするにスベって空回りな子供だった。その反動であまりしゃべったりでしゃばったりしなくなり、今現在まで来てる。ココでの書きまくり状態しか知らない人は信じられないだろーねぇ。でも普段あまりしゃべらない人てまわりにいるでしょー。そーいう人は「考えて」ますよ。人て考える「量」はあまり変わらない、とワタクシは思う。ただソレを口にするか、しないか。ワタクシの場合はこーやって「書く」コトが自分にとって「最善」の表現カナ、と思ってる。
でなんでじゃべれないか?というとコミュニケーションべたもあるけど、さらに根本は「自分の感じた思いを言葉に変換するのに違和感がある」という、コレがずーーっとあった。今、現代病で「キレやすい」とかあるけど、何も今に始まったコトじゃない、と思う。部屋にこもっちゃうとか。そーいうのはつまるトコロ「自分にウソをつきたくない」んだよね。言語化しようとしても言葉にならない、この世に存在する言葉では言い表せない感覚・思いをできるだけ漏らさずに表現して伝えたい、んだけどできない。100%伝えたいのに100%変換できない、思いがこぼれおちてしまうのが嫌なワケ。だから表現するのを一切やめてしまう、というコトになる。
ワタクシの場合ハッキリ覚えているんだけど17才、高校2年の時、図書室でふと何だか今まで言語化できなかったコトが、論理的にしゃべれるようになってきた。なってきだした。頭が良くなった気がした。そーいうコトてありませんか?ワタクシはコレを「ギヤチェンジ」と言ってる。この時、確実にローからセカンドにガチャンと入った。そーいう「ギヤチェンジ」が何度かあって、今も何度目かの思考回路のギヤチェンジが、ケッコー長い間、1年以上起こってる。だから今はケッコー自分でも自分の思いを的確に言える。その「的確に言える」てのは快感だったりする。
デリダはその「違和感」を見事に言い当てた。まず自分と同じ感覚を持ってる人がいたーっ!と思った。そしてその「違和感」は「言葉」が持ってる性質、だと言う。人というのは生きてるだけで誤解される、とワタクシは書いた。そんな人が作り出した言葉だっていろいろ「誤解」されるのだ。誤解=誤って解釈。いずみちゃんの「自分」という歌からワタクシは「人間なんてモロイものなんだ」と思ったが、結局人間自体が不完全なのだから、人間が作り出した「言葉」だって不完全なのだ。ソレ以前に、人に伝える以前にワタクシなんぞは自分の頭の中で、自分のホントに伝えたいコトを誰かが作った「言葉」というモノに翻訳しないといけない、その過程で微妙なニュアンスは翻訳できないなー、なんて思ったりしてる違和感があるもんだから、自分の中でさえもー真意とは違ってたりする。でも今はだいぶ言えるようにはなったけどね。たまに言いたいコトとどんどん違う方向に進んでしまうコトてないですか(なかったですか)?伝言ゲーム。もー自分の中でまちがっちゃってる。
だからこの辺のメカニズムを解明してくれた人がデリダという哲学者で、ワタクシは宗教とか哲学とかあまり安易に手を出すべきじゃない、ていう考えを持ってるんだけど、まーたしかに悩まないで飛びついて答えを知れば、かなり先の方まで行けるのカモしれないけど、やっぱりなるべく飛びつかないで、途中までしか行けないカモしんないけど自分の足でしっかり歩いていきたい、て思うんだな。だから心理学とかもやらない。だってつまんないじゃん。すぐわかっちゃても。そーいうの見ないでアレコレ考えてる方が面白い、ワタクシは。でもそー思うワタクシでも、まず哲学本を「理解できた」ていうのがうれしかったし、小難しいから〜て敬遠してばかりじゃなく、読める年齢なら一読するのもありですよ、と言いたい。あんまり書かれてるコトに影響されたり、振りまわされたり、というのではなく、自分の中の疑問や思いを「確認」するために。あくまで自分が思った気持ちの「再確認」ですよ。
ミスター・ジャック・デリダ。アナタは豆の木をするすると上って、雲の上の人になってしまった。だけどワタクシはアナタの豆の木を見つけて、アナタからは全く見えないはるか下の方にいます。人間というのは不完全だからこそ可能性があるのですね。今はその不完全さがあまり良い方向に出てない世の中ですが、ソレでも不完全だからこそ、未来に期待も持てるというコトですよね。日本も少しは多様性を認める世の中になってきましたよ。たむけにワタクシの低い位置から少しだけ見えるMt.Fujiを捧げましょう。ありがとう。