選挙について。
実は、ワタクシがはじめて選挙に投票しに行ったのは30才になってからである。ソレからはほとんど毎回投票しに行ってると思うが、30才までは政治に興味がないに等しかった。新聞もとくに読まなかった。だから今の大学生や若者がなんだかんだ理由をつけては選挙に行かないのも分からなくもない。もちろん選挙に行く若者もいるだろうし、ちゃんと自分なりの考えを持って投票してる人もいるだろう。そういう人をワタクシは尊敬してる。ただ選挙や政治に興味も無い人、行こうかどうしようか迷っている人もいるだろう。そういう人たちにちょっと言いたいコトがあるので書いてみるコトにする。
別に選挙に行く・投票するのに理由なんかなくていい。大それた考えなんかなくても構わない。ワタクシもはじめて行ったときはそうだったからである。たしかほんのちょっとだけ興味が出てきて、ちょうどなんかの選挙のタイミングが近々あったので「じゃあ、投票しにいってみよか」と。
ワタクシもはじめはそんな軽い気持ちで投票しに行って良いモノなのかどうか迷った。意外と選挙に行ったコトの無い人はそんな考えなのではないだろうか。たぶん重く考えすぎなんだと思う。自分の一票が候補者の命運を左右するカモしれないからとか、もし自分の選んだ候補者が不祥事を起こしたりしたらなど「責任の重さ」を、ソコまで過剰に気にするコトもない。分からないじゃない、そんなの。現時点じゃ気に病んでもどうしようもない。だから軽い気持ちでもはじめは良いのだと思う。世の中に対して不満があるから何々とかではなく、別に「選挙そのもの」がきっかけになっても、ソレはソレで構わないのだと思う。
投票しに行くと自分の中に何が起きるか。
・投票日の夜の選挙特番が気になり見る。
・新聞やニュースなどに以前よりは興味を持つようになる。
・次の選挙の日がいつなのか気になる。「また投票しに行こう」という気になる。もう勝手が分かってるので、次は投票しに行くのも腰が軽くなる。
・そのうち「投票しない」という選択肢が自分の中でなくなっていく。習慣化する。投票せずにいられなくなる。投票日に投票できなくても、期日前投票するようにもなる。
ざっとこんなトコロだろうか。
先ほど「もし自分の選んだ候補者が不祥事を起こしたりしたら」というコトを書いたが、そういう時に「選んだやつが悪い」だの責任論が必ず出てくる。繰り返しになるが、そんなの投票する時点で分かるワケがない(明らかに分かる人もたまにいるが笑)。投票した自分よりも、候補者によりもっと近しい人でさえ分からないコトを、昨日までまったくの赤の他人だったワタクシたちが分かるワケがない。もうこのへんは「不祥事しなさそうな」という勘で選ぶしかない。その自分の勘を信じるしかない。
選挙のときに、候補者一人ひとりの政策やひととなりを丹念にくわしく調べ比べて、というコトをして投票してるひとが、いったいどれだけいるだろうか。ほとんどの人は先入観だとかなんとなくだとか政党だとか、見た目、若さ、性別、インスピレーション、そんなものを頼りに投票してる人のほうが多数なのではないだろうか。別にワタクシはソレを否定はしない。そんな理由で投票してもいいんだと思う。
投票所に行ったら、時間帯によっては混むカモしれないが、基本的な流れは、入場整理券と引き換えに本人確認→投票用紙受け取る→投票したい人の名前記入→コレをもう1回繰り返して退出。ソレだけ。正味5分くらい。あっけない。こんなんだったらもっと前から投票しに行けばよかった、と思うだろう。
ワタクシたちが一票を持ってるから、どーにかこーにか政治家たちは仕事をしてくれるワケだ。自分たちの政治家生命がかかってるから、選挙前になって必死になって我々に投票を促し走り回る。もし投票を放棄し続け、この投票という行為、選挙という制度が必要が無いと判断されたら、いつか政治家たちは我々のために仕事しなくなるぜ。「変わって欲しくないから投票しない」という人は考え直したほうがいい。そんな考えなら、いつかガラっと世の中変わってしまうぜ。より悪いほうへ。