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NO DUPLICATIN’/PLAYTECHS (PSY・S)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=T3--8UCQwTc
PSY・S(サイズ)の歌が聴きたくなってYoutubeを検索してたらこんなブツを見つけた。PLAYTECHS、プレイテックスて言うのかしら?PSY・Sの前身なんてあったんだなあ。
そしてこの『NO DUPLICATIN'』をWikiで調べてみたら、サイズの前に作った自主制作盤のようで非売品とのコト。1983年に作られたんだって。さらにこの音源は松浦雅也氏自身がsoundocloud(ていうのよく知らんけど)にUPしたモノらしい。
もうこんなのお宝やん!!こんな21世紀の平成も終わろうかというときにサイズの(サイズじゃないけど)新譜が聴ける(新譜じゃないけど)なんて!!逆にこのネットの世の中だからこそできるコトだよなぁーありがたや〜と思って早速聴いてみるとコレがまたカッコいい〜!!たしかにデジタル音は時代を感じさせるけど、音楽的な方向性はサイズと変わらないし、全曲英語詞なのもあって、サイズよりもっとエッジが立ってるように感じさせる。変にメジャーで丸められてないような。後々サイズのアルバムに収録される曲もこの時点ですでに数曲(A−5、A−6、B−3)散見できる。
しかしサイズの楽曲は古びない。懐かしくはあるけど全く古くならない。1983年つったら35年前だよ!ものすごい耐久力だ。

ところで、下に引用したのは7月31日のチャカのツイートだ。

『チャカ(@CHAKA_JAZZ)
PSY・Sの曲を今聴いても全く古くないと言ってくれる人は同業者にも多い。嬉しいと同時に、私の相方を誰や思てんねん!当然じゃ!とも思う』

サイズが解散したのは「音楽性の違い」という意見がネット上で見られるが、ワタクシはそうは思わない。もともとそう思ってたし、チャカのこのツイートが何よりの証拠だと思うし、このツイートによりそういった思いは確信に変わった。こういうような発言をしてないかなーとツイートを探ってたら、案外最近にしてたのでびっくりしたけど笑。

コレから書くのはまったくのワタクシの想像でしかないし、音楽業界のコトもまったく知らないドシロートのザレゴトだというのを前もって断っておくけども、サイズの2人というのは、もともとが音楽性が全然違うというのが前提みたいなモノで成り立ってたユニットだと思う。

チャカはサイズをやる前からチャカいわく週5でジャズとかライブしてたらしい(だからサイズをはじめて、年に10回ていどしかライブしないからずいぶんノドの負担が軽くなってる、というような発言もしてる)。あんまりジャンルのコトは分らないけど、もともとジャズやソウル、ブルースなどブラック系の音楽を好んで歌ってたんじゃないだろうか。そういう志向であり方向性のチャカと、一方YMOの影響大のテクノおたくとも言えそうな松浦さん。そういう2人がどっちかの方向に寄るワケでもなく、ポップという「第3の道」みたいな方向の音楽をやる、この意外性であり化学反応が、サイズの楽曲を面白くさせてた理由のひとつだと最近ワタクシは考えている。むしろ音楽性が全く違うからこそ反応が起こる。たぶん2人も「ソレは面白い!」と考えたからこそ、その考えに乗ったのでないだろうか。そして結果的にサイズの楽曲は、テクノポップと一口で言ってもデジタルらしさは感じさせないし(今でこそさすがにデジタルぽさは感じられなくもないけども)、チャカのときおり入るブラック系のフレーズや要素がスパイスとして効いてソレが楽曲の彩りや魅力にもつながっていた。

何を言いたいのかというと、もともと音楽性が違うのは2人とも分りきってるコトであるから、ソレがあらためて解散の理由にはならない、とワタクシはそう思うのだ。
そして音楽性はちがっても、2人とも音楽という道を歩いてるのは変わらないワケだから、お互いの素晴らしさは理解できるワケで、おそらくお互いの才能を認め合ってるんじゃないかと思う。そんなのは普段プライベートでの付き合いがなくてもスタジオワークとか仕事上でさんざんわからされるのではないだろうか。「この人すげぇ、、」というような。そしてお互いがどんどん高みに上っていくような。だからこそ上に引用したようなツイートがされるんだと思う。相方を自慢に思っている。コレはチャカの本心だと思う。たぶん松浦さんも同じようにチャカのコトを思っているんじゃないだろうか。

だから、2人の間には感情的なわだかまりは一切無いんじゃないかとワタクシは思う。としたら残るは三角形のもうひとつの角、何が障害になってるのかとしたら会社関係、としか考えられない。いわゆる「大人の事情」てやつだけど、その言葉だけではワタクシは片付けられないんだよなー。

チャカのツイートにも書いてあったけど、チャカにサイズの楽曲を扱う権利は無いらしい。だから今でもライブ活動はしてるけど(東京に住んでるてのはびっくりしたが)、サイズの歌はいっさい歌ってないよう。想像でしかないけど、おそらく最初に権利関係とか契約とかそういう書面とか手続き関係をしっかりやってないてコトなのかな。やったけど説明されてないとか。チャカ自身はそういう契約してない、いや会社側はしてる、というような言った言わないみたいな、解釈の違いみたいな。何かそういう手違いというかすれちがいがあるのカモしれない。で、コレは松浦さんも同様なんじゃないだろうか。松浦さんはサイズ解散後ゲームミュージックを作っている。彼は彼の方向性に進んでいるワケだけど、彼にも権利関係は無いんじゃないのだろうか。ただ会社が許可すればイジれる、というようなぐらいの。

ただチャカの他のツイートを読んでると、やれ年を取ったとかやれ今やったとしても音がしょぼくなるとか、らしくない言い訳をしてるけど(笑)ソレはまったくの本心では無いような気もする。いろいろ事情を説明するのがメンドくさいからそういうコトで武装するワケだけども、そんなよろいは「ぬののふく」ていどの防御力しかないのでは笑。だって楽曲そのものがしっかりしてて素晴らしいんだから、たとえアコギの弾き語りでも、チャカが歌えば十分その曲の魅力は伝わると思うし、かえって削ぎ落とされたまた別の面からのその曲の良さを表現できるのではないだろうか。何よりチャカ、何でも歌えるじゃん、て思う。YOUTUBEにあげられてる動画見ると、この人何でも歌えるなあ、て。たぶんサイズの歌だってキー変えないでほぼほぼそのままいけるんじゃないだろうか。

ただチャカ自身には歌いたい気持ちはあるけど、要望に応えたい気持ちもあるけど応えられないいたたまれなさというのもあるだろうなと、ソレは理解できる。だからそっとしておきたい部分もある。別にサイズの楽曲以外にも、存分にチャカの歌は楽しめる。ソレで構わない。

でもチャカは、チャカ自身こそが「あの頃のサイズの再現」に拘っていないだろうか?ソレはほぼ不可能なんじゃないだろうか。まずプレイヤー側が年を経てるし、何より聴く側も年を取ってるし、「あの頃」よりテクノロジーも発達してる。音自体が良くなってるでしょう。年月を経ているというのは悪いばっかりじゃなくて、あの頃より「良くなってる」可能性もある。ソレはやってみないとわからない。聴く側としては当時聴いてた思い出が甦る、「懐かしい」といったようなノスタルジーもプラスされる。

たしかに「あの頃のサイズじゃない」とがっかりする人もいるだろうけど、だからといってやらなければ賛否はゼロだ。70、80才になってやれるのか?そう考えればやれるうちにやっておいたほうが良い、という考え方もある。あとで「やっときゃよかったな」て思うのか。見た目だけの問題じゃなく声が出る出ないとか根本的なコトもあるし。とりあえず一回やっておけば肩の荷が降りるんじゃないだろうか?そういう考えもある。なんだったらライブじゃなくて昔のようにレコーディングだけでアルバム出して、という形でもサイズなら可能ではある。でもアルバム出したらライブしたくなるのもシンガーとしての性(さが)カモしれないけど。契約上のうんぬんもあるだろうけど、半分はチャカ本人の考え次第でもあるんじゃないだろうかとワタクシは思っている。歌いたかったら歌えばいい。ていうか聴きたい笑。

パール兄弟の30周年ライブでのゲストでチャカが出たらしい。そのときに「サエキけんぞう氏作詞のサイズの曲」を歌ったらしい。おそらくサエキ氏に作詞家としての権利があるから可能になったのだろう。そういうウラ技を使えば歌えるらしい。サエキ氏によると「キーそのままじゃない?」とチャカに言ってチャカが返事に困ってる(笑)という動画がある。歌えるんだよ、このお方は笑。シンガーとして「歌えない」とは言えないのも分るけど。結局権利関係に問題なければ歌うのはやぶさかでない、支障は無いてコトは実証されたワケだ。

長々と勝手なコトを書いてしまった。