縁。
ついにこの日がやってきてしまった。いつかくるんじゃないかくるんじゃないか、、とは思っていたけど、ワタクシ一押し!とヘッダにも掲げてるオーバーコーツが解散するコトになってしまった。
どうやら告知は1ヶ月以上前からされてたみたいなんだけど、ワタクシはサイトのリニューアルで工事中なんだとばかり思って、、。というのもサイトTOPの「START」がなくなってカーソルの反応もしなかったし、秋に復活!と書いてあったので秋まで待ちましょか、とのんきに構えてて今日何の気なしにカーソルをいじってたら反応するじゃなああい!?こんなコトになっていたとは、、。今月10日にレッドクロスでライブもあったらしく悔やまれる限り&行けなくて申し訳なかったなぁ、という思い。ああ、過去に戻りたい!!
でもバンドの解散というのは、メンバー4人のソレゾレの人生上での事情があるだろうし、勝手に想像するしかないけどたぶんオーバーコーツ活動に時間を避くコトが難しくなってしまったのだろうと。ソコをあーだこーだ言う権利はワタクシには無いし、哀しいけどさぁ、哀しいけど拍手をもって4人のソレゾレの人生にエールを送るしかない。
ワタクシはあまり音楽を幅広く聴く、という聴き方をせず、だけど1度気に入ったら、自分のツボにはまったらずーっと聴きつづけてしまう。音楽に限らずなんにつけてもそうなのだけど。だからワタクシには好きな音楽人がいるけど、ソレゾレを比べるコトなんてできなくソレは無意味な話で、ソレゾレが良いワケです。
2000年12月頃だと思う。今はなきVV町田店で店に滞在していて、店内で流れていたヨシモさんのチャプ4を聴かなかったら。タイトル名が何て書いてあるのかワカンナイけど、とにかくレジの「流してます」のとこに置いてある青いジャケのCDを探しに行こう!どうやら4月1日にシェルターというトコロでライブをやるらしい。行ってみようか?もう1つのバンドはオーバーコーツ?知らないけどチャプ4観れればいいや。
友達をさそったんだけど、なかなかヤツはシモキタの改札口に現れやしない。もうライブの開始時間は過ぎてしまった。あーあ。小1時間が過ぎ、業を煮やして急いでシェルターへ走る。階段を降りて重めのドアを開けると暗くて賑やかな空間。熱気熱気熱気。ステージ上を見るとアレがチャプ4。曲はどうやらチャプ4ではいつもシメにやるシャラララリーという曲らしい。なんだよ!結局1曲しか聴けなかった残念。でもチャプ4がどういうモノかはなんとなく分かったような気がする。1曲でココ出るのもなんだなぁー、この次のオーバーコーツてのも聴いてみようか、、。
こういう出会いというのは「偶然」という言葉では片付けられない、何かの力が働いてるとしか思えないモノがある。ある本には偶然に偶然が重なると、ソレは「必然」だと書いてあった。たぶんこうしてワタクシの目の前にいる「オーバーコーツ」というBANDに、ワタクシが無意識的に引き寄せられたのだと思う。ソレを導いてくれた人がヨシモさん、というのがワタクシのヨシノモモコさんに対する認識である。ヨシモさんの音楽を聴くまでワタクシは、やや内省的な歌を歌う音楽人を好んで聴いていた。ソコに明るく楽しい音楽を提示してくれたのがヨシモさん。この方にはホントに感謝の念が絶えない。
別にいいやーと思えばソレでおしまい。でも目の前・視界に入る事柄というのは、たぶん全て自分にとって何かしらの意味がある。目の前で日々繰り広げられる事象をチョイスするかしないかは自由。信じれなかったらおしまい。疑いを持ってたらおしまい。一番大きいのは自分がまだ不十分なレベルで、準備不足で、アンテナがキャッチできなければソレは通りすぎてしまう。ヨシモさんの音楽を聴くまでにも、ワタクシには断片的な、他人から見たら一見つながりそうにない事柄の「蓄積」というモノがある。ソレら「点」の断片的情報が無意識・意識的にある時、バチバチと火花を散らして線になる。ワタクシはたぶん他人より、この「つながり」という能力が少しばかり長けてるんじゃないか、と思ってる。少なくとも意識的に使ってるフシがある。今後に良いコトなのか悪いコトなのかは分からないが、損得の問題ではない。五感第六感を通して感じたコトをムダにしないコト、そういうコトを意識して積み重ねていくことが、やがてその後のビッグサプライズを引き起こす・招きいれる要因になるのだと思う。だってこの地球上、何十億の人たちが生きてて、出会える確率を考えたらソレは奇跡だし、奇跡というより偶然というより「必然」と考えた方が合ってる思う。
もっと言えば生まれる前からすでに親の体内で競争は始まってて、十億分の一とかの確率で今こうして生きてるワケでしょ。ソコまで考えたらコレ、天文学的な確率よ。そういう確率の中で出会えた人たちというのは、何かの縁があるとしか思えない。歳の上下とか全くかんけーないコトだと思うのね。ただ単に生まれてきた順番がほんのちょっこし違うだけ。長い目でみたら一瞬。だから年下だから尊敬しないとかナンセンスだしもったいない。何かしらコイツはこういうとこがいいなという点は誰にでもある。バイトの学生たちの姿を見てそう思う。
彼らもきっと何かの縁があって同じ職場にいる。ワタクシはいくらか人生上では先輩だ。だからその点で何かアドバイスできる部分があればいくらでもしてあげよう、という気持ちを持っている。でもワタクシから進んでするコトはしない。あくまで来る者は拒まず。職場にワタクシみたいなおっさんが1人いる。ソコをどう認識するかは彼ら次第。えらそうに聞こえるカモしれないけど、結局生きるのに貪欲かどうか。ワタクシという存在をどう捕えるか。ソコに気付く自分なのかどうかというのが問題。ソレが「目の前で繰り広げられる〜」であり「疑いを持たないコト」であり「次のステップに行く準備ができている自分でいる」かである。
あなたが現状を好むと好まないとに関わらず今ソコにいるのは、あなたがこの世に産まれ落ちてから重ねた日々の結果、ソコにいるのである。良いコトもあっただろうし悪いコトもあっただろうけど、何一つ欠けたとしても今ソコにあなたはいない。コレからその先もそう。そして今あなたのまわりにいる人たちと出会えてる可能性も少ない。出会えていないカモしれない。時間は戻らない。勝手に流れてく。日々は勝手に積み重なってくけど、どう積み重ねていくか。ココを意識しないで積み重ねると意識して積み重ねるでは違ってくる。世界も人も、たぶん全てが。