本日のツイートより。
・内田樹 @levinassien 38分 『révolteは「反抗」という訳語では意を尽くせません。もちろん「反抗」という意味もあるのですが、「憤激」とか「むっとした」とか「かちんと来た」いう身体反応を含んだ言葉なのです。「虎の尾を踏まれて爆発」というのに近いかも知れません。「それを言っちゃあ、おしまいだぜ」ですね。』
・内田樹 @levinassien 39分 『「それを言っちゃあ、おしまいだぜ」は寅さんの決めの台詞ですけれど、寅さんが直感によって決定している「それ」を哲学的に基礎づけようとしたのが、カミュの「不条理の哲学」「反抗的人間論」なのであります。いや、ほんとに。』
内田せんせーのツイートの「それを言っちゃあ、おしまいだぜ(後のツイートで「おしまいよ」に訂正)に反応してみた。コレはワタクシの先日のブログとのシンクロてよりかは、この言葉は出ますよね流れ上、という感じだけど、でもコレも「シンクロ」と思った方がワタクシは楽しいワケです。まーなんでもかんでもシンクロと、都合よく結び付けてしまうと、ソレはソレで何かしらの害があるとも思うけど(そういう考えグセがついちゃう、という意味でね)、そういうコトに自覚的でいればいいと思うんですよ。「コレは遊びでやってるんだ」てコトでね。
内田せんせーのツイートに絡めて、前回書き忘れたコトを書くけども、正論とか正しいコトてのはあるワケだけども、一般的に正しいコトが自分にも当てはまるかていうとソレはまた別であって、ソレじゃ自分にとっては「面白くない」「楽しくない」というのはあるワケだ。ソレじゃ愉快に生きられない。世間じゃソレは正しいのカモしんないけど、そんなのどうでもいい。オレは自分の人生、楽しく愉快に、面白く生きたい。そっちを取りたい、ていう生き方もある。手品だってタネがあるコトは分かってる。でもどうせタネがあるんだろ、と言ってたら手品なんか楽しめないワケだ。現実主義者というかね、リアリスト。同じ意味だけどさ。タネがあるだろうとは思いつつも、ソレはさておきで目の前で繰り広げられる手品を「わぁーすげぇな」つって楽しむ。「あえて乗っかる」てコトだよな。「あえて」=自覚的、てコトだよ。
ソレで内田せんせーいわくカミュの『不条理の哲学』『反抗的人間論』てのを持ち出しているんだろうな。正しさ正論に「反抗的」で「不条理」だよなーたしかに。
まー都合よく結びつけるのがワタクシの得意技だけども(笑)、そういう考えグセがあると、アイデアがひらめいたりもしやすいワケで。もし結びつけて出た考えが正解じゃなく違うモノだとしても、ソレはソレで新しいモノができたというコト。ワタクシはケッコーそういうのを意識的&自覚的にやってる。そういう思考回路の鍛錬だな。ソコの神経回路はそうとうぶっとくなってるはず。