ばあちゃん。
昨日の夜、ばあちゃんが亡くなったと連絡あり。でも全く実感が無い。だから悲しいとか何とかいう感情も起こらない。たぶん父親も同じだろう。こちらと九州と距離が離れてるから、ひんぱんに会いにいけるワケでもないし、以前このブログにも書いたように、10年前に九州に行ったきりだ(ヘッダでジャンル[Kyusyu]参照)。
今年に入って「ちょっと容態が、、」という話はあったので、ソレなりの覚悟はしていた。まぁ覚悟というと大袈裟だけど、気持ち的に、頭の片隅にそのコトを今まで気に留めていた。ソレがとうとう昨日、、というコトだ。101歳だって。大往生だ。
実は4月ぐらいに一度田舎に行こうかという話も出てた。まだ覚えてるかどうか分からないけど記憶のあるうちに、、というコトだったのだけど、なんとなくソレもうやむやになって。ワタクシも親の気持ち的にどうなのかなー?というのも少しは考えたりして、なので「行かないの?」とかはあえて聞かなかった。
ワタクシの一番古い記憶の中のばあちゃんはすでに「ばあちゃん」だったし、じいちゃんも「じいちゃん」だった。2人で一回家に来たコトがある。小学生から中学1年までの夏休みの間に、恒例のように毎年田舎に行った。そのとき、ばあちゃんが一番身近な存在だった。ワタクシのばあちゃんの記憶は、30年前の、元気な頃のばあちゃんの記憶しかない。弱ってるばあちゃんの姿を見たコトがないし想像もできない。けど、ソレでよかったと思っている。
たぶん数日の間で今後の日どりが決まってくるんだろう。父親とは四十九日に向こうに行こうかという話になっている。まだ自分のスケジュールの都合とか、10年ぶりというコトはあのときの赤ん坊がもう大きくなって誰だか分かんねぇだろうなーとかそんなコトしか考えてない。向こうに行ったら実感が湧くのか、どうか。