1日目。その2
いやいや、天気予報で西日本は連日35℃とか言ってたので暑い暑いとは予想してたけど、想像以上。小倉に着いた時間が午後2時前という暑さのピークの時てのもあるけど、やはり東京とは暑さの濃度がちがう。濃ゆい。じわじわんとニブイ暑さ。こんなのが連日続くのか、、。チベット高気圧め。
そして門司。久しぶり〜!10年前よりも駅の海側(画像の反対側)に家がだいぶ建ってた。10年前まで何にもなかったのに。たぶん焼きカレーとか門司港レトロ関係で門司も少しばかり注目されるようになったから、このへんも売り出しに力入れたんだろう。
家には15分も歩けば着くんだけど、とても歩ける外の暑さではないのでタクシーで。しかしもはや10年も経つといろいろ変わってるようで、家の最寄りの目標物である「平田医院」ではタクシーの運ちゃんに通じない。。しょうがないので10年前の記憶を頼りにとりあえず走ってもらう。走ってもらううちにいろいろ思い出して家のそばまで辿り着いた。「平田医院」は「安藤内科」に変わってた。覚えとかなきゃ。
家は旗竿地の奥にあるので、手前には他人の家(といっても小さい頃から知ってる)があるんだけど、その家を父親兄弟の弟(三男)の息子である浩幸くんが仕事で塗ってた。彼は彼のお父さんの事業の塗装屋の仕事を引き継いでる。ワタクシより年下だけどもう立派におっちゃんだ。ちなみに彼は3人の子供を持つ父親でもある。
家に着くとおいちゃんが迎えてくれた。おいちゃんはワタクシの父親兄弟の長男。父親は次男になる。ちなみにおいちゃんは自分の建築会社の社長であり大工の親方なのだけど、今は息子である兄ちゃんが実質上引き継いでるのかな。昔から長男の建築と三男の塗装でタッグを組んでる感じで、息子同士はお互い兄弟はいるけど長男だから親の事業を引き継いで、こっちで仕事をやってるという形。息子の長男同士は九州だけど、弟であり姉ちゃんは東京だったり韓国だったりに住んでてバラバラ。
中に入って荷物をといてから、祭壇のばあちゃんに挨拶。立派な祭壇だ。線香に火をつけて、「しばらくお世話になります」と告げると、まばたきに合わせて、明らかに遺影のばあちゃんの口角がくっくっと上がった。いつもココに来るとばあちゃんが出迎えてくれるんだけど、いないんだよなぁ、と思った。
小学生の時の夏休みとか門司に来ると、ばあちゃんのいる1階のこの部屋がだいだいワタクシの生活の拠点となった。マッサージチェアやらテレビやらが無くなった。小学生の時にワタクシがこぼしたプラモデルの塗料の染みこんだ畳も取り替えたよう。この部屋にかつてはいたじいちゃんやばあちゃんはもういない。代わりに祭壇が増えた。でもこの部屋から見るこの景色はワタクシが初めて来たときから変わらない。最近知ったけど、いつも見てるあの山は矢筈山(やはずやま)ていうんだそうだ。
ソレからおいちゃんがばあちゃんの写真やら亡くなるまで介護施設が毎月送ってくれてたというレポートの紙の束を見せてくれた。写真は昔のから葬儀の時のとか、あとはいとこや親戚の写真。いとこや親戚はみんなソレゾレ家庭や生活があるので、なかなかタイミングが合わずに、もう何十年も会ってない人もいる。そういう会えてない人たちの近況の写真も見た。近況、とはいっても写真の日付を見るとソレでも10何年前とかなんだけど、「あーこんなふうになったかあー」とか、子供を抱いてたりして「へぇ〜」とか思ったり。
つづく