味わい方と権利問題。
今、東京五輪エンブレム問題でTVは盛り上がってるが(ソレしか話題ないのか、、?)フト思った。
こういうエンブレムとかロゴとか、はたまた音楽とか、そういう著作権、肖像権とかあるジャンルがあるけど、料理にはそういったモノがない。
コレはなぜかと改めて考えると、食というのは我々が生きてくのに必要なコトで、生活にあまりに密着してるモノだから、コレを権利で保護されたら食事するにも自由に何も作れなくなってしまう、というのはあるだろう。料理というのは、逆にどんどんマネして広げてくれぐらいのオープンな性質があるように思う。各家庭などでアレンジ料理ができたり、さまざまな広がりができる。
という解釈もあれば「いやいや、レシピをいくら公開しても、ちょっとやそっとじゃマネできないよ!」というのもある。プロが作る料理だ。コレはいくらTVや雑誌などでお店で作る料理のレシピを公開したとしても、厨房機器ひとつとっても、食材ひとつにしても家庭で使うモノとは基本的にちがうので、似たような味にはなるけど「全くお店と同じ味」にはならない。大量につくるか、3〜4人の家族分つくるか、でも味はちがってくる。だからわざわざ権利で保護する必要もない、というのも解釈としてはあるだろう。
ソレに料理は万人が「おいしい」「まずい」と感じるワケでもない。老若男女、もっといえば1人ひとり美味いかどうかはちがってくる。
ソコで、じゃあ音楽はどうだ?と。
音楽は演奏者の発する音なり声なりを、誰もが耳で同じように聴くコトはできるけど、その感じ方、解釈のしかた=音楽の味わい方、は、コレもまたさまざまだと思うのだ。でも権利で保護されてる。ココにちょっと「?」と思った。
フトね。結論とか良いかは悪いか、ソコまで考えてないけどさ。もうちょっと先まで考えるコトかもしれない。
音楽はコピーして売るコトが、やろうと思えばできてしまうからか、、。そうか、料理はいくら「プロのレシピ」つっても、あくまで自分が作らなきゃならないモンなー、、。
だから「100%のコピー品」ができてしまうジャンルのモノは権利で保護するんやな。100%コピー品ができないモノはオリジナル性が保てるワケだからオープンてコトかな。
コレで終わりかな?このお題は(笑)