主演と助演の関係について。
中井貴一氏と糸井さんの対談番組の再放送を観た。とくに印象に残ったのは、演技で泣いてる顔をしてお客さんを泣かせるというのは、ソレはもらい泣きであり真似泣きだ、と。ただ泣いてる顔を見て泣いてるだけだと。そうじゃなくて役者なら(胸のあたりを指して)ココで泣かせる。だから泣くのをガマンして涙をこらえて涙は流さなくても、お客さんを泣かせるコトができる、ソレが役者だとそんな内容のコトを言って、なるほどなーと。
あと「主演男優賞は立ってるだけでももらえる」ていうやつで、助演男優賞のほうが価値があると。コレはワタクシの場合はプロレスにたとえるととてもわかりやすくなる。たとえば某団体のチャンピオン。アレなんかはまさに「主演男優賞」みたいなレスラーだな。昔のプロレスでいうならいぶし銀とか、あとはバイプレイヤーなりヒールなり負け役の選手がプロレスが上手いのが大事であって。そういう主演以外、チャンピオンのまわりにいる選手たちが、上手くやられる、上手く負けるのが大事。もっと言えば、技を受けるのが大事だし、だから受け身が何より重要。キレイな技も大事だけど、受ける方の受け方も大事になってくる。2つが合わさってその技に説得力が出てくる。
かといって主演男優賞のチャンピオン選手もただ突っ立ってればいいワケでもない。やっぱりソレなりの、「見るに耐える」技量なり何なりはある程度必要にはなってくる。「ああー、だからこいつはチャンピオン」という説得力は必要。説得力というか、ソレは「幻想」と言い換えてもいいね。仮に「超新星」でも「未知の怪物」でもなんでもいいんだけど、昔のプロレスはそういう幻想のカタマリだったね。今の時代、「幻想」が足りないのカモしれない。