過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
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 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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「大量生産」と考えるか、「有限」と考えるか。

引き続きいずみさんがツイートされてた。
ワタクシもアレからいろいろ考えているんだけど、つまりは「たたき売り状態」になるんだよなーと。
ま、音楽じゃなく普通の物ていうのは、すでにデフレやらなんやらで半ば普通になっちゃってるけど、たとえば生産地を人件費の安い外国にしたりとか、限りはあるにせよ値段は下げられるし、大量に作るとかやり方はある。でも曲作りてそういうワケにはいかないし、音楽てそういう大量生産の物とは性質のちがうモノだと思う。でも今は音楽も使い捨て的に消費されるような、そういう音楽が現実的にあるのも、コレも否定できない。そういうのといっしょくたにされてるような、そんな印象が、、。ワタクシのまったくの妄想でしかないんだけど。
ワタクシの好きなコーヒーだってアホみたいに高い特級の豆もあれば、バカ安い低級豆、ピンキリある。でもアップルミュージックだとソレらが全て横一線で一律でナンボ、そういう売られ方をしてるような。あくまで想像でしかないんだけど。あくまで「試飲」「お試し」の範囲内だったら無料とかもいいんだろうけど。でもソレは購買意欲を刺激するていうか、豆を買ってもらう、購入につなげるためのモノだと思うんだよな。
でも価値で言うと「価値がある」と考えるのは人ソレゾレちがうだろうし、コーヒー豆のように、もっと分かりやすくいえばワインのように、明確に決まった基準があるワケではない。その基準によって値段がきまってくるようなね。ソコは絵画とおんなじで、一見子供が書いたような絵に何億円と値が付いたりして、価値ていうのもよく分からないジャンルではある。だからもうソコは「自分ならこの絵に、この音楽にいくらの値をつける?どのくらいの価値があると思う?」ていう、買う側の自分なりの判断でしかないんだと思う。その買おうとしてる側が「認める価値」とクリエイター側が「求める価値」「認められたい価値」が合えば、コレは良いワケだ。
作る側が認められたい価値に、買う側が認める価値にお金を支払う。コレがビジネスの根本だと思うんだけど、その根本が崩壊する。でも現実的には、もうすでにどこの業界も崩壊してるんだろうな、とワタクシは思うよ。買い叩かれて、とりあえず手っ取り早い人件費が削られて、だから給料も増えない。正規社員はどんどん非正規に取って代わられる。ただ消費者も高いよりは安いほうが良いと考えてる人が多いのも現実だから、その悪循環からなかんか脱け出せない。
でも今週のSPAの元2ちゃん管理人の人がたまたま取り上げてたアイチューンズの記事を読んだんだけど、¥980で値段はアイチューンズが決めるんだってね。で、売れた売り上げから分配されるみたいな。
その認められたい価値を無視されたら、じゃあクリエイター側は何を支えに、誇りに、創作の源、パワーにしていいのか?という、創作のホントのオオモトを失いかねないよな。やる気の源泉ていうかさ。やる気失くしちゃうじゃん実際。一所懸命、魂込めて必死に作ったモノが、そんな値段で売るんかい!ていうさ。じゃあ逆に言えばその値段の範囲内で作れるようなレベルのモノしか作らないよ、てなっても、そういう人がいてもおかしくない。
で、コーヒー豆のコトでまた言うけど、コーヒー豆(に限らずなんだけど)には「フェアトレード」「サスティナビリティ」ていう考え方がある。つまり豆の生産者の生活を守るために、品質の良い豆を持続的に生産してもらうために、しっかりした、価値に見合った報酬を与える。そしてその生産者が作った豆を優先的に購入できる、そういうそういうパートナーシップていう関係性を持つコト。コレが大事になってくる。なかなか日本人にはこの考え方が定着しづらいともワタクシは思うけど、でもコーヒー豆にしろ音楽にしろ「作るのが有限」だとしたら、生産者の生活を守る、生産し続けられる環境を作ってもらう、というソコまで買う側がある程度想像をめぐらせる必要はあるカモしれないよね。コレで作ってる人たちが生活できるの?今後も作り続けられるの?て買う側が心配するような値段じゃなく、安心できるような値付けていうのかな?そういう考え方も必要だと思うんだよね。