四次元の一休さん。
あー思い出した、昨日考えてたコト。別にたいした話じゃないんだけど。
いや、突然だけど一休さんで「この屏風から虎を追い出してみろ」てのがあるじゃない。ソレを一休さんがとんちで切り返すてね、あの有名な1シーンが。
ようするにワレワレの世界て3次元じゃない。で屏風に描かれてる虎は2次元だよな。その屏風が虎の生きる世界。でも次元が低いからて手出しはできないんだよ。2次元の虎を3次元のこの世界に引っ張り出すコトはできない。でも、たとえば新たに虎を描くコトはできるし、消すコトもできるワケだ。言い換えると、生み出すコトができて、殺すコトもできる。
コレをそのままそっくり1次元上昇させて、3次元の虎を「4次元世界の一休さん」が追い出す、引っ張り出すコトができるかというと、やっぱりできないんじゃなかろうか、と。でも新たに3次元の虎を生み出すコトはできるし、殺すコトもできる。
我々の一生てのもそういうモノなのカモしれない、てそう思ったのだよ。ようは我々より高次元の存在が我々の生まれる・死ぬを決定はできる。でも生まれてから死ぬまでの間は手出しができない。運命というモノがあるとするなら、始まりとおしまいは決められてるけど、間は決められてない。
せいぜいが、屏風をくしゃくしゃにしてみたり、ビリビリに破いてみたり、そのくらいのコトしかできない。