モノゴトの起源。
今日樹齢二千年(なんか漢字で書きたい)の桜というのをTVで見た。一目見た瞬間に「荘厳」だとか迫力が伝わってくる。理屈ではない。ただソコに在る。だけど長年風雪に耐えて、歴史を見てきた存在。だからこそ生命の説得力を感じる。存在そのものの力。有無を言わさず畏敬の念を抱く。もうこういう領域だと、神様とか仏様みたいな存在に近いんじゃないかと思う。ワタクシたちが、長く1つのコトに関わってたり携わってたりする人に尊敬の念を持つのは、その積み重ねてきたモノ全てに、無意識的に敬意を表してるのではないだろうか。
二千年の桜の生命力から考えるに、ワタクシたちの起源であるオオモトというのはもう「生命力のカタマリ」みたいな、光り輝く生命力の源みたいなモノなんじゃないだろうか。そしてソコを基にして、ソコが心臓で、我々は毛細血管の末端だ、というそういう存在なのではないだろうか。または我々、ソレゾレがその生命力の源の1つ表現であり、1つの可能性なのではないだろうか。