過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
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『告白』を観た。のつづき

ふぅ〜やっと続きが書ける。というコトで『告白』のつづきです。順序関係なく書くよ。
後から思ったんだけど、やっぱ「ラムネ」だね。ラムネが重要なアイテム。アレがずぅ〜っと引っかかってたんだけどさ。なんであそこでラムネなんだろう?と。アレ、わかんないだろうね、おそらくみんな。
かつて森口先生が担任を受け持ってたクラスの女子学生が森口先生を偶然見かけて、近くのファミレスで森口先生がその女子学生の子から話を聞く。ソコで今のクラスの状況、犯人の状況を森口先生は知るコトになる。森口先生のナナメ向かいに4人家族が座っている。いかにも家族団らんというような平和な光景だ。当然森口先生の視界にも入る。何故かその家族の女の子が森口先生にラムネのお菓子を1つ渡す。受け取る森口先生。その時点で特に感情の揺れが表れたりしない。場面切り替わって雨の中。森口先生は早歩きで「バカバカしい」とつぶやき、号泣する。手にはラムネが握られてる。
ワタクシ思うに、おそらく森口先生は「復讐人」だった。復讐人に徹していた。娘が殺害された瞬間から自分が教師であるコト、母親であるコトさえも捨てて。しかし、ファミレスで女の子がくれたラムネによって、森口先生は自分の中に「母親」を取り戻したんだと。
たぶんラムネを差し出されて受け取った時に、「あー、わたしの娘にもこんな時があった。子供て母親に喜んでもらいたいんだよな。」とそう思ったにちがいない。ソコで自分の中の「母親」が呼び起こされたんじゃないかと思う。もっと言えば、コレは亡くなった娘のメッセージなのではないか?と。この子を通じて私に伝えてるんだ、とそういう「ラムネ」なんじゃないかな?だから森口先生「だけ」に渡すんだよな。ソレを感じ取って号泣するんだよ。私は何をやってた?こんなコトをしても娘が生き返るワケでも喜んでくれるワケでもないと、ハッキリ意識に思ったんだんだろうね。
だから犯人に最後会うんだよ。会う必要ないじゃん。電話だけでもいいはずなんだけどさ、いらぬおせっかいな場面でもあるワケだよな。ワタクシにはそう思えたけど。ただ犯人も子供じゃん?娘を殺した張本人とはいえ。犯人の学生も愛情のハンドルを切り間違えたんだよな。まぁこの作品の登場人物は誰もがハンドルを切り間違えたままなんだけど。
そしてクライマックスの「更生」を告げるシーン。コレは前にも書いたよに文字通りの「更生」じゃないとワタクシは思うんだよね。たしかに最後に「母親」が戻って「教師」というのも引き出されたのカモしれない。ソレによって出てきた言葉が最後の教師としての「更生」という言葉だったのカモ。そういう捉え方もあるだろうけど、ワタクシはやや皮肉的な表現だと解釈してるんだよね。
自分がかつて教師だったから、その立場を生かしての「更生」。「うまいコト言ったな」「我ながら上手い表現だ」的なね。実際は犯人に更生なんか求めちゃいないでしょ。そんな気サラサラないよね。かといってあっさり死んでもらいたくもない。だから「死んだように生きなさい」という意味をこの「更生」という言葉に込めてるんだと思うんだよな。呪いの言葉ですよ。
ただ森口先生は、私はもうあんたのコトはほっとく。今まで監視を続けてたけど、もうやめる。勝手にしなさい、てコトなんだろうね。ソコがギリギリなんだよな。あなたのコトは許せないけど、森口先生がとりあえず手を退くという。だから最後、犯人の「大切なモノ」を奪って終わりにしたと。その宣言だったワケだ、あのシーンは。
でも前例があるからね。前例があるからその言葉を信じられるか?というのがある。ソレがこの映画の結末の直後、おそらく犯人は問いただすんじゃないか?でも森口先生は問われた時に一瞬止まるけど、何も言わず背を向けたまま体育館を出てくんだろうな。で、小説もチラッと見たけど警察が来てるてのは、犯人の学生に対してではなく森口先生に対して、なんじゃないのかね。たぶん自首したか自分で呼んだんだよ。悲しいね。切ない。
でも結局、森口先生のように本気で本音で向かい合おうとした大人が、犯人や学生たちのまわりや家族にいなかったてコトだと思うんだよな。ソレもこの作品では言ってるだろ。いろんなメッセージがこの作品には込められてると思うんだけどさ。
もうウェルテルみたいな「なんちゃって熱血金八先生」みたいのじゃ、フワーっとしてダメなんだよ。もう時代的に合わない。彼はファンタジーの世界の住人なんだ。あくまでソコから一歩も出ない。現実を見ようとしない。天然なのかどうか、、でもどうやら天然らしいから学生たちにも半ば同情の念さえ伺える。「こいつバカなんだ、、」と。ソコから絶望感さえ伝わる。
ホントは本気で向かい合って今の惨状から救ってくれるような先生を願ってたワケだ。表面だけ熱くてもしょうがなく、むしろ表面上の熱さなんかどうでもよく、ガップリ四つで向き合ってくれるリアルな先生を学生たちは欲してた。
森口先生からすれば、常に犯人の上を行かねばならない。犯人は単純に何かモノをつくったりと直接的、に対して森口先生は自分の手は極力汚さず間接的に。巧妙に。その巧妙さが冷酷に伝わってくる。しかし大人は子供に対して常に上を行かねばならない。まして2人は教師と生徒という関係だ。
大人は子供の上を行く、というのは、子供のやるコトをまっすぐ受け止めるという包容力につながる。包容力があるか?ソコを子供は見抜く。だから最後の場面で森口先生が犯人に対して「子供」を感じ取り、犯人は「母親」を取り戻した森口先生を見て、その向こうに「母親」を感じ取ったんじゃないだろうか?森口先生は「この子も人の子、私も人の親」というのを確認したかったんじゃないのかな?許せないけど、母親の「業」によって手を引かざるを得なくなった、というコトだろう。自分にまだ残ってた「母親」をいとおしむという感情でしょう。そのコトを娘が気づかせてくれたというコトでしょう。
あとちょっとつづく。