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やぁーーっと『誘拐ラプソディー』を観てきた!のつづき。

原作を読んでないのでどの程度の再現度なのか、かなり忠実なモノなのかどうなのかは分からないけど、話の展開とか内容自体も良かったな。シリアスとユーモアと織り交ぜて、緊張と弛緩と。
はじめは笑いの度合いが濃い。なんせ「家を出たい子供」なワケだから、誘拐した子が。だからいわゆるドラマでよくあるような誘拐モノとは事情が異なる。悲壮感みたいなモノは全くなく、子供はピクニック気分だ。でもあくまで主人公である高橋克典氏扮する伊達秀吉(ダテヒデヨシ)は誘拐のつもり。そのお互いのテンションの違いでありチグハグなやり取りで秀吉が調子を狂わされてるのが観てて面白い。コミカル。現実はドラマのようには行かないモンだな。でもコレは誘拐、誘拐なんだと自分に言い聞かせてるような気持ちも伝わってくる。そういう感情とか気持ちの揺れ動きが前の2作より伝わってきたと思う。コレは脚本と高橋克典という役者の力なんだろうな。誘拐した子供がヤクザの子てのが分かる前の余裕と分かった後での慌てぶりとか。
伝吉も臆するコトがないんだよな。誘拐と理解してないてのもあるけど(なんせ本人は家出のつもりだから)、普段組の若い衆とかに囲まれてるでしょ。で、そういう人たちのコトも別に怖いとも思ってない。仲のいい兄ちゃんおじちゃんたちぐらいにしか思ってない。だから格闘シーン(笑)でも物怖じしないワケだな。ソコは次期組長としての素質はあるのカモしれないけど(笑)。
笹野高史氏扮する先輩の囚人もいいよね〜味があって。そもそもあの人の言葉を覚えてたから始まった誘拐なワケで。本来なら死ぬ予定だったんだから、冒頭の場面で車に乗せないはずなんだよな。ムリヤリにでもね。でもソコで秀吉が伝助の話を聞いてから魔がさして2人の珍道中が始まる。1人の大人と1人の少年の束の間の逃避行。話が進むにつれ伝助を捜す組の動きがあわただしくなってシリアス度も増してくる。珍道中の間、伝助は親が教えてくれないコトを社会に触れるコトで、秀吉を通して学ぶ。秀吉も次第に伝助の中に自分を見出すようになる。2人は擬似家族のようになってく。でも現実は2人を引き離す方向に進んでく。総動員で捜索するヤクザたちが秀吉を追い詰める。組長も警察に捜索願いを出すワケにはいかないから、自分らで捜索してるのだけど、動きを監視してる刑事に感づかれてしまう。
ただ船越英一郎氏扮する警部補てのは、アレは組長と幼馴染みとかそういう感じもするよね。なんかくされ縁なんだよな、とにかく。だからコトを大きくしないんだよ。斉藤工務店にヤクザが乗り込んできてもナイスなタイミングで駆けつけるし、ラストのシーンでもそう。決定的なコトにしたくないんだと思うよ。もしくは他のヤツに取り押さえられるよりはオレがやった方がいい、みたいなね。丸く治めたい、「チョンチョン」にしたいワケなんだよ。お互いにとってソレがベターだってね、そういう関係。なんかあの2人でスピンオフ?てのも書けそうだよね。
思わぬ乗員がもう1人増えたのは笑ったけど、まぁアレは子供2人が友達同士だから、秀吉に撮ってもらった写真もいっしょに送ったんだろうな。元気だよ、ココにいるよ、そしておじちゃんが危ないよと、知らせたワケだね。だから意外に伝助は分かってるのカモしれないよね。おバカさんなフリをしてるだけカモしれない。
でもこのへんで「大人て何やってんだろうな」て思うね。たぶん子供の2人は思ってるんじゃないの。かたやヤクザの組長でかたや警部補で、何やらいろいろやってるけどもっと素直になって2人仲良くすればいいのに、みたいな。図体だけデカくなって。ソレがエンディングのフラカンの歌につながってくるよなと。たぶんね、組長と警部補はお互いの子供と同じような友達同士だったんだよ。でも何の因果か組長と警部補になってる。2人の子供もそういう関係になるのかなー、なんて。
秀吉が伝助に言う、たぶんこの作品で言いたいメッセージなんだろうけど「反抗しろよ」ていう。あのセリフは秀吉自身にも言ってるんだろうけど、伝助は「家出」だから逃げてるワケなんだよね。だから「逃げるんじゃない」と。まぁ「反抗」て言葉はあえてね、そういう強い言葉を言ってるワケで。伝助がああいう純粋な性格だからあえてね。でもコレは「ブツかれよ」でいいんだな、意味合いとしては。
親てのは子供が初めて出会う「社会」なんだよ。親は何かしらの形で社会にコミットしてる、参加してる。だからいろいろ世間体とか「自分」以外のモロモロも含めて考えないといけない立場にいて、そういうトコロからモノを言ってたりもする。「ヤクザの組長」とか「警部補」とか肩書きをぶら下げてる。もちろん親自身の価値観・考え方もある。親は子供を守る存在でもあるけど、導いてあげる存在でもある。だからといって親の価値観なり考え方が全て正しいワケではない。親が自分の価値観を押し付けてソレに子供が従順で何も問題なし、、てのはどうなんだろうね?と。ようは親も子供もお互いがブツかるコトを避けてる。だから問題がない。そういう親に限って、子供が大爆発を起こすのを目にすると「ウチの子に限って、、」「そんなようなコトをする子じゃなかったのに、、」となる。そんなようなコトは以前書いたけどね。
親というのはいずれ子供との衝突、ブツかるコトを怖れてはいけない・承知してないといけないんじゃないかな。だって親の価値観そのまんまでいいんだったら子供を生む意味が無くなると思わない?まぁソコまで言い切るのもアレだけど、子供は「自分のコピー」ではないワケでしょ?動物的に言えば「より良い種族を残すため」に子供を生む。子供は親を乗り越える存在。ソレが自然の摂理。てコトは親の価値観とブツかるコトは当然でしょ。親が「自分の価値観が完璧」てならいいのカモしれないけど。
また親てのはどっかで「オマエが望むなら、いつだって踏み台になってやるぜ」ていう気概みたいなモノもあると思うんだよな。ただそういうコトは子供に言えないんだよ。「オレに反抗しろよ!」とは親は立場上言えないよねー(笑)。基本的に間違ったコト、世の中的に良くないコトとかは言えない。でもそういうコトも含めて世の中は、社会は成り立ってる。だから秀吉みたいな人が言ってくれて助かった部分も無きにしも在らず、なんじゃないかな?誰かに言ってほしいんだと思うよ、親て。そういうトコロあると思うよ。
秀吉て結局「寅さん」なんだよ。立ち位置がね、伝助にとって。みつおだっけ?前田吟氏の息子て。『男はつらいよ』の。寅さんは言葉でハッキリ「反抗しろよ」とは言わないのカモしれないけど、態度で、自分の生き方で生き様で示してるトコあるでしょ。その姿をみつおがどう受け取るかは分からないけど、アレも「こういう生き方もあるんだぞ」というのはあるワケだよな。「マネしろよ」とは言わないけど。「オレみたいな生き方するなよ」ぐらいに思ってるのカモしれないけど。前田吟氏は寅さんが義理の兄だから逆らえないし、排除もできない。でも親以外のモノを寅さんから学ぶワケだよね。親が言えないコトを言ってくれる存在てのも大事だし、貴重だと思うよ。ソレによって子供の将来が広がるワケだから。で、大きくなって改めて「やっぱり親の言ってたコトは間違いじゃなかった」と戻ってきてもソレはソレでいいんだし。
以前にも書いたけど、やっぱ核家族て三すくみになっちゃうんだろうね。関係が煮詰まっちゃうというか、出口なしというか。「親と子」て密着度が高い。ソコで「風穴」になる寅さんみたいな存在がいると、うまくガス抜きができる。親を「立ちはだかる社会の壁」とするなら、ソレに反抗しろ!と。自分を貫くなら反抗しろよ!親も子供を信用していれば、そういう関係ができてれば分かってくれるだろうから。だから映画のキャッチコピーの『逃げるんじゃない。賭けるんだ。』てのも「(自分が置かれてる状況から)逃げるんじゃない」「(現実から)逃げるんじゃない」「(自分から)逃げるんじゃない」とか当てはまるような気もするし、「賭けるんだ」も「(自分に)賭けるんだ」て感じなんだろうな。
反抗。ロックだね!社会に対して反抗。ダメ男のロックですよ。コレはエンディングに流れるフラワーカンパニーズというバンドにバッチリハマるワケだな。
『GROW』『ぼくのおばあちゃん』そして今回の『誘拐ラプソディー』を通して思うのは、自分の中の少年性みたいなモノ。ソレを描くのが監督のテーマなのかな。時々自分の中にある子供の部分を思い出しましょう、というかソレが大事なモノなんだよ、失わないように、というか。
コレは『ぼくおば』でも感じたコトだけど、3作品ともなんとなく作品に流れる雰囲気というかカラーが揃ってきた感じがしたな。榊監督の作品はこういう手触り、感触なんだというね。
あと3作品とも主人公に何かしら助言をする人が出てくるんだよね。『GROW』の不良のおいちゃん幽霊たちであり、『ぼくおば」はおばあちゃんであり、主人公の「上位」にあたる存在。でも今回は主人公自身なんだよな。子供を通してプリズムのように跳ね返って来たモノに主人公自身が教えられる。忘れてたコトを取り戻す。だから子供も「上位」の存在なんだろうね。たぶん監督の作品には、コレからも何かしら形を変えてこういう存在が出てくるんだろうな。
今、手がけてる次回作でK点越えを目指してください!