ギャグは地球を救うのだ!
先月、赤塚不二夫展を観てきたのだ。
ニュースでこの展示会を紹介してたのだけど、何やら「シェーの部屋」というモノがあって、ソコには150名の漫画家や芸能人が全員シェー!!をやってる絵や写真を壁面に飾ってるというので「ソレは是非見たい!!」となり、9月7日までだというので速攻、銀座松屋に行ってきたのだ。今回は赤塚先生に敬意を表す意味で、語尾は全て「〜なのだ」にするのだ。
ワタクシは特に赤塚不二夫ファンでもないのだ。でもワタクシたちの世代は何らかの形で赤塚不二夫漫画の血が体内を流れてるのだ。ソレくらい自然に、なおかつ脳細胞からDNAに至るまで浸透してるのだ。コレは断言してもいいのだ。平成人じゃ分からない感覚なのだ。
なぜ平成人じゃ分からないのか?ソレは笑いが圧倒的にパ〜ワフルなのだ。逆に平成人にすれば新鮮に映るのカモしれないのだ。昭和というのがそういう時代だった、と言ってもいいのカモしれないのだ。赤塚先生からしたら今の自虐的だったりシニカルな笑いは理解できない、カモしれないのだ。いや、分かってはいるけど俺はそういうのは好きじゃないね、とか自分の笑いとは違うんだよな、とかおっしゃるのカモしれないのだ。
でも理解は示すのカモしれないとも思うのだ。なぜならタモリという人がいるが、あの人の笑いの方向性と赤塚先生の笑いの方向性は違うと思うからだ。自分にはない笑いなんだけど、自分にないモノをこいつは持ってる。でも可笑しい。なんだこのこみ上げてくる、笑わずにはいられない可笑しさは、、。そういう新しさを感じたんじゃないか、と思うのだ。だからタモリの将来性を買ったと思うのだ。
展示会を観てると、赤塚先生というのはホントに笑いに貪欲な人だと思ったのだ。
『おそ松くん』というのは、実は数回で終わる短期連載の予定だったらしいのだ。ソレまでも「○○くん」「○○ちゃん」というタイトルの作品はいくつかあったのだけど、当初はその流れの中での1作品という位置付けだったと思われるのだ。ところがあのイヤミの「シェー!!」が大ブレイクし、ソコから赤塚先生もブレイクしたのだ。
イヤミというキャラクターは自称おフランス帰りで、実際何やってる人なのか分からないが、ソレよりもおそ松含む6兄弟並びにチビ太などに混じって大の「大人」がバカやってる(デカパンやダヨーンのおじさんもいるけど)というのが当時はセンセーショナルだったと思うのだ。そしてその大人が子供にバカにされてる、という図。コレが当時の子供には受けたと思うのだ。ある意味イヤミは当時の子供たちの、現実での大人にはむかえないフラストレーションを一手に引きうけた、ヒールをかってでたキャラクターだと思うのだ。
金持ちぶって実は貧乏とか、インテリ(昔はよくこの言葉を漫画で見たような、、)ぶって実はバカ、という大人の見栄っ張りだったり虚勢をおそ松たちが暴くのに、子供はストレス解消してのだと思うのだ。つづく