ギャグ&ピースなのだ!
そして赤塚ギャグ漫画の集大成であり、ある到達点とも言える『天才バカボン』の誕生。ワタクシはおそ松くんよりはバカボンの方が年代的に馴染み深いのだが、原画を観ても漫画としてのまとまりが大変良いのだ。他の作品よりも非常に高い次元でまとまっているとワタクシは感じるのだ。
この漫画ではとうとう大人を主役に持ってきたのだ。「天才バカボン」と言いながら、主役はバカボンのパパなのだ(笑)。バカボンのパパが文字通りバカ力(ぢから)を発揮し、子供であるバカボンがいっしょになってバカをやるのだ。そういう親子関係なのだ。
赤塚先生は実験的にいろんなコトを作中で試されてるのだ。ホトンド全編ベタ塗りでセリフだけ(ときどきちょっと顔を見せたりする程度)だったり、「読者に読みやすいように」と途中から「ナシ」「ナシ」「ナシ」とコマに書き、ヒジョーに読みやすく(笑)してみたりと、かなりアバンギャルドなコトをしてるのだ。もちろん先生の苦肉の策ではあるのだろうけど、ソレでもその行き詰まり感すらギャグに変えてくという、ソコから先生の笑いに対する貪欲な姿勢が感じられるのだ。そしてそういったアバンギャルドなコトを許す編集者の存在だったり、環境だったり時代だったり、ソレが昭和なのだ。
でも今から思うと、バカボンのママはヒジョ〜に人ができてるのだ。こんな寛容さMAXな人はこの世にはいないのだ(笑)。でも、だからこそバカボンのパパと結婚したのカモしれないのだ。彼を受け入れられるぐらい許容力のある人で、そのフトコロの大きさにバカボンのパパは甘えて、思いっきりバカができるのだ。
そしてバカボン(しかし子供にこんな名前つけるのもどうかと思う:笑)とハジメちゃん、2人の子供はパパに敬意を持ってるのが素晴らしいのだ。ママも家庭でおそらくパパをけなしたり蔑んだりというコトがないのだ。たぶんあの家族はパパをバカだとは思ってないんだと思うのだ。逆に「世の中いろんな人がいるのだ」という教育になってるとすら思えるのだ。そう考えると、バカボンの家族ほど良い家族は無いんじゃないか、と思うのだ。ある意味、理想の家族なのだ。つづく