『ぼくらの』が終わってしまった。
今月号のIKKIで『ぼくらの』が終わってしまった。でもまだ考えはうまくまとまらない。いったい作者はこの作品で何を言いたかったんだろうか、、。
ジアースに乗り込んで戦闘する、というような特殊な設定抜きでも、ワタクシたちはみんな誰かが決めたゲームに突然参加させられ、限りのある時間を生きている。『ぼくらの』はソレをおもいっきり凝縮した、人生の縮図のような作品だ。この作品は初めから、終わりが決まってる。ソレも人と同じである。
他のレビューで書いてる人もいたけど、この漫画は万人にはおすすめできない。なぜなら、この作品は「無常」が描かれてるからだ。人の命て何なんだろう、という正解のない問いがこの作品では絶えず繰り返されている。
人は誰しも死に向かってる。ソレは全ての人に平等なコトだ。ただソコで、この一瞬とも言える人生をどう使うか。コレは文字通りライフワーク、知能を持った人間の業とでもいうべきか、コレも文字通り「使命」なのカモしれない。この作品を読んで、ワタクシたちの現実世界にフィードバックするのなら、そのコトについて考えてみれば?というコトを言いたかったのカモしれない。1人1人の人が考えてみよう、と。
幼い頃、「自分がいなくなったらこの世界はどうなるんだろう、、」とその想像もつかない恐怖に怯えた記憶のある人もいるかと思う。ソレもいつしか忘れてしまうのだけど。でも今ならこう言える。「この世界があったから、自分が生まれてきた」と。
この地球という星に人類が生まれてから連綿と続く命の連鎖によって、先祖代々引き継がれて今、自分がココにこうして生きている。そして自分がココからいなくなった後も、たぶん世界は何事もなく続く。「この星より1人の命の方が重い」というようなコトを言った人がかつていたけど、そんなコトはない。人が1人死んだトコロで、この星は何も変わりはしない。
でもソレは悲しむべきコトでもない。だって人類はこの星に生まれた自然物なのだから。人も自然の一部なのだから、諸行無常、当たり前のコトでしかない。
もし自分が戦わず、または戦いに負けたら本当にこの地球は消滅するのだろうか?しかしソレを確かめる術は無い。この地球を守るためには、自分が戦いに勝つしかない。地球の命運が自分に託されている。自分1人の一瞬の命より、今生きてる命と、まだ見ぬコレから生まれる命のためにこの地球を守る。そのためなら喜んで礎(いしずえ)になろう。未来に想いを託し未来のために命を燃やす。まだ幼い登場人物たちのそんな声が作品全体から聞こえる。例えソレが幻想であったとしても、そのコトが唯一の救いであり希望だ。自分の命がムダにはならなかった、という救い。
たしかに肉体は滅びる。「死」というのは「その世界にいる人には見えなくなる」と言った方が正しいのカモしれない。作者は細胞セルがどうのこうのと言っていた。その言を借りれば、体は単なる器でしかない。「死」というのはその器から離れるコトでしかない、と。例え肉体は死んでも、想いは残り続ける。肉体という器から、魂が解放される。ソレをこの世界では「死」と言ってるに過ぎない。のカモしれない。
たぶん『ぼくらの』は、あの後もまた別の『ぼくらの』の物語が続くのであって終わらない。そのエンドレスな流れから今回、ほんの一部が切り取られただけである。
人が生まれ変わって、その1人1人の命の明滅で、この星は輝きを放ち続けている。