迂回。
寝太郎さんのブログを読んで。たまたま読んだから書こうかなと思っただけで、ワタクシも前から考えてたコトではあるんだけど、死について考えたり語ったするのは今の生をできればココロ穏やかに生きたいと願うから、死について考えたり語ったりするんだろうね。
「迂回」なんだと思うんだな。宗教とかもね。以前にも書いたカモしんないけど、いっかい「外」に出なきゃダメなんだよ。迂回ルートを通らないと。
地球を外から見てはじめて「青い丸い星」と認識できるように、生について語ろうとするといったん生の「外」に出ないと語れない、理屈付けができないていうのはあると思うんだよね。なかなか地球の中に住んでて「青い丸い星」とすぐに認識はできないように、生にどっぷり浸ってると生とモノがよく認識できないんじゃないのかな。
で、その「外」て別に真実じゃなくてもいいのカモしれない。宗教だってホントかどうかは分からないし。ファンタジーでもなんでもその人にとって「本当」ならソレで十分役割は果たしてる、機能してるてコトなのカモしれない。できるコトなら多くの人はこの世をココロ穏やかに過ごしていきたいだろうからそのための、てコトだろうね。
多くの人は今の生が大事だろうし、自分がどう生きようかとか自分を向上・成長させていきたい、自分を磨きたいとか思ってるだろうから。世の中の小説とか音楽とかも、読んだり聴いたりして、自分だったらどうだろう?とフィードバックしたりして。自分以「外」の、他者の経験や思考を取り込んで参考にして、自分がより良く生きるために、生きやすくするために役立てる。もちろん役立つばかりじゃないけどね(笑)。ワタクシもムダ話ばかりだし(爆)。
だから寝太郎さんの求めるモノとはちょとちがうんだろうか。