一瞬のまばたきみたいに消えてしまう僕らはきらめき/榊いずみ ☆6☆。
10曲目の『ただの一日』。コレもライブで初めて聴いたんだけど、やっぱりライブでは勢いがあってノリのいい曲の方が印象に残りやすいし、こういう「聴かせる曲」は家で耳傾けて聴いた方が1つ1つの言葉をじっくり味わえる。おだやかで気持ち切なげな歌声。過ぎてく日々を優しく包み込むようにそっと抱きしめる。この曲はこのアルバムのもう1つの柱だと思う。
この歌は「榊」さんだからこそ歌える歌なんだと思う。もし「橘」さんが『ただの一日』というタイトルの曲を作ったら、おそらく終わりなき日常を嘆くような歌になると思うんだよな。そういう若さゆえの時期だった、というのもあるし、今現在の時代の空気というのもある。
このアルバムは、いずみさんの長年の相棒である愛猫りょくさんに捧げるという。おそらくこのアルバムは愛猫りょくさんに触発され作ったモノだろう。りょくさんは人間だったらもうおばあちゃんで、がんという重い病を患ってる。でも猫というのは気高く、弱さを表になかなか出さない動物。なので一見するとそんな体調が悪いとか思えないらしく、いずみさんの日々の愛情により体調を維持できている。
ワタクシにはいずみさんという人はあまり過去を振り返らない人だという印象があるんだけど、命というのをより身近に感じてると思うんだよな。猫のおばあちゃんのりょくさんと、いずみさんの娘さんのまだまだ子供の真里亜ちゃんと。命の交差点。形あるモノはやがて消えゆく。
自由すぎるとかえって何をしていいのか分からないという「自由の不自由」の逆で、制限があるからこそ得られるコトてのもあると思う。子育てで毎日忙しくて、自分の時間がなかなか取れないからこそ、自分の自由に出来る何でもない時間が貴重に思えたり、病気になれば病気じゃない時の健康な状態をスバらしいと思うし、現在は特に3・11の震災があったからこそ、今とりあえず無事でいられるコトを幸せと思える。
特に3・11以降、当たり前が当たり前じゃなくなってきた。この国では以前のようにのんきではいられなくなった。閉塞感をもてあそんではいられなくなった。悲しいけどね。でも「命の有限」てのをコレから先、ポジティヴにもとらえる必要があるんじゃないかな。ソレがこのアルバムの根底に流れるモノだと思う。
何かコトが起きてから、何か制限を受けてからようやく分かる、というのも考えモノなのカモしれないけど、しょうがないのカモしれない。そもそも人間は肉体という「制限」を抱えてこの世に生まれてくる。でも肉体という制限があるからこそ得られるコトもある。たとえば赤ちゃんがハイハイするようになり、やがて歩きだし、といった成長を感じるコトができる。世界が広がる喜びがある。コレが生まれてすぐに何でもできるような状態だったら、成長を感じるコトができない。コレほどつまらないコトもないだろう。もし不老不死で無限に生きられるのなら、コレほどせつないコトもないだろう。
命というかこの肉体の耐用年数という制限があるから、人はその限られた瞬間を輝かせようとするのカモしれない。だから今現在、ソコカシコで制限を受けてる人は、その制限をこの先自分が成長するため、輝くためのデキゴトでありモノゴトだと思えばいい。
ラストの『まんまる』もライブではすでにおなじみだけど、このアルバム上では『ただの一日』とも響き合う、リンクする曲になってると思うんだよな。3・11以降、この歌の意味がより色濃くなってきたなと思う。
マイケルジャクソンとか音楽界の巨星が亡くなったりして、そういった人たちへの想いがこの曲にも込められてるのかな。この曲をライブで初めて聴いた時は、この世にいるのかすでにいないのかは分からないけど、とにかく「人」に対して歌ってるのかと思ってた。でも今回のアルバムのコンセプトに沿って聴くと、人だけじゃなくて、過ぎ去ったデキゴトやモノゴト「全て」に対して、というふうにも考えられるね。
人は「思い出」があるから生きられるのかな。過ぎ去った人やモノゴトへの思い。人生は有限だけど、誰かの胸の中で生き続けるコトができる。夜空に輝く星は、何億光年の時を経てこの星に届く。その星は今現在は、もうすでにソコには無い星なのカモしれない。でもその星の輝きをワタクシたちは見るコトができる。