極私的解釈「LOVE&PEACE」。〜ガンダムOO〜
OOは「想いを分かち合う」というコトが最重要テーマとして描かれてた。イノベイターとそのまわりの人間たちは、ソレゾレの思惑によって相手を利用したりソバにいたりといった具合で、想いの分かち合い・横のつながりがなく、ソレゾレの利害関係だけでつながり、ソレとの比較で刹那たちは仲間意識を強調させて描かれてた。イノベイターという存在を人と対立させるコトで、人の持つ良いトコロ(同時に弱いトコロでもあるけど)が浮き上がる、という描かれ方だったように思う。
なかなか言葉にするのは照れくさいけれども、ワタクシは「愛」というのは、対象に(ソレが人でも動植物でもモノでも)自分の想いを財産分与するようなイメージがある。この人(モノ)なら、、という自分がOKを出したモノに自分の想い(魂なのか、心なのか)を分けて預けるような。だから一方的ではあるのだけど(別にソレが双方向でなくていい)、ソレが「愛する」というコトなのだと思う。
「想い」だから、想われる側にとっては時にはソレは「重い」ともなり(いやマジで)、負担になるという場合もある。一方的なのだから、ソレを感じて受け取る側としたら受け止めきれない場合もある。想いを発信して相手からの返事や反応を求めたりして、ソレが裏切られたりすれちがったり失望したりすると憎しみ変わる場合もある。愛とは勝手なモノだ。
そして愛とはやっかいなモノでもある。極端な話「世界がどうなっても2人愛し合ってれば大丈夫」なのだ。2人愛し合っていれば例え戦場であっても構わない。愛は無敵なのだ。しかし「その2人にとっては」。
OOを観てるとそのへんがよくわかる。例え戦いの真っ最中でも、愛さえあれば2人の間を流れる時間は止まる。しかし2人は愛し合ってればソレでいいのカモしれないけど、現実は何も変わらない。愛は盲目だ。そして愛は幻想。人は幻想なしには生きられない。けど状況は変わらない。「2人の愛」で完結してはいけない。内だけではなく外にも広めなければ。
だからワタクシはジョンレノンか言う「LOVE&PEACE」の「PEACE」も重要であって、この2つの単語は2つで1セット、切り離せないモノだと思う。2人の世界(自分内)は「LOVE」、自分たちの生きる世界(自分外)は「PEACE」、平和でなければならない。「LOVE」だけだと、戦場でも「LOVE」は成立するからだ。ただもちろん「PEACE」じゃなければ、2人の「LOVE」が引き裂かれる可能性もあるワケだ。
ワタクシも今まで誤解、というかあまり深く考えたコトはなかったのだけど気づいたコトがある。「隣人愛」という言葉がある。コレは単純に「隣の人を愛せよ」ではないんだと。たぶん誤解してる人が多いんじゃないかと思う。誤解してるから「自分たちさえ良ければいい」という人が多いんじゃないか、と。
そうじゃなくて、この言葉はたぶん「世界のはしっこにいる人までも、自分の『隣にいる人』のように感じ、想うコト」だとワタクシは思うのだ。ソレが「LOVE&PEACE」。自分の「LOVE」を世界中に広げる。もっと押し進めて「世界中の人を自分のコトのように思う」という言い方もできる。
愛は勝手でやっかいだけど、人が暴走してしまう時にその思いを留まらせる抑止力になる。自分の中に他人が住んでる。ココロの中に他人の想いがあるから、人は人の道を踏み外さず、または踏み外しそうになっても踏み外しても、ソコから立ち直るコトができる。
1つの物体を構成してる原子以下の物質は揺らいでると書いた。ソレを地球レベルまで拡大して当てはめてみると、地球という生き物は人類や動植物、さまざまなモノが揺らぎながら構成してる、というような量子的表現もできると思う。揺らぎながらもある秩序に基づいて一定の形を保ってる。たぶん自然界のモノというのは皆、そういう風に寄り添いあってできているのだ。
BGM 『trust you』(GUNDAMOO 2nd season ED)/伊藤由奈