SYNCHRONIZED☆SINGING vol.4 ③
で、最後にまとめというコトでワタクシがいろいろ思ったコトを語らせていただく。
この日の選曲はというとなんか「永遠」だとか時間に関するモノだったり、「祈り」「哲学」(=Phirosophy)とかそういうのが選曲のテーマみたいな感じがした。時間とか世代とかを超えて貫いてる愛だとか思いだとか念だとか個人を支えてるモノ。『Wonderful Life』もそういう歌だしね。その線で行くと『Family Tree』も同じテーマに沿ってはいると思うけど、今回はちょと違ったんだろうね。あちらは「家族愛」とかそっちの色が濃いから。
440のある下北沢、シモキタていう街も駅の地下化の工事で大きく変わろうとしてる。そういう街で、20年ぶりにケイスケさんといずみさんが会ってライブする、ていうのもワタクシとしては何か符合するモノを感じる。
人も年月が経てば変わるモノで、ソレは街も同じ。街も店が入れ替わって新陳代謝を繰り返す。ソレが街が生きてるてコトであって、生きてれば姿形は変わる。ソレが「生きてる」て証拠でもある。たしかにこのシモキタが近い将来変わってシモキタらしさが無くなってしまったら哀しい。ワタクシはシモキタていう街が好きだから。でもたぶんその変わったシモキタの街にも今のシモキタらしい空気は流れてるはずだと思う。中はいろいろ変わっても輪郭は「シモキタ」ていうのは変わらない。
無常という言葉があるけど、人も同じではいられない。でもたとえ姿形が変わってしまっても人はソコに変わらないモノを見つけようとする。ソレを見つけると人は安心する。変わらないモノがあるから20年来の友人で間が空いてしまっても、年月を感じさせずに、まるで昨日のつづきのように挨拶を交わすコトができる。まーそんだけ空くとお互い照れて恥ずかしさもあるんだろうけど。お互いを取り巻く状況が変わってしまっても「お互い変わらないね」と言い合うコトができる。
たぶんソレは内面的なモノが表出してる。その人のアイデンティティーだとか哲学だとか想いだとか意志だとかそういったモノが、顔の表情だったり筋肉だったり、その人を取り巻いてる空気・雰囲気だったり。そういうモノを瞬間的に読みとった相手が「変わらないね」と言う。ホントはよく見ればだいぶ姿形が変わってたとしてもね。前に書いたコトがあるけど、久しぶりに会う人が全然違う人に、別人になってたら悲しいじゃない。思いが共有できないというかさ、その人に入りこめないでしょ。よそさんみたいで。だから人は変わらないモノを探すんだよ。
いずみさんとケイスケさんがライブ中2人で話してる時、なんか時空間の狭間というかスキマにいるような感じがした。分かりづらい例えだけど『銀河鉄道999』の「トレーダー分岐点」みたいな何かを分岐する、ココは時間の支配する世界とそうでない世界とのハザマにあるライブカフェで、ココだけは俗世間の時間が流れていない治外法権的な場所なんだ、と。曲も昔の歌もあれば今の歌もあるし、過去と現在未来を縦横無尽に行ったり来たりしてね。音楽て時間を超越したモノだなぁーと思ったり、時間て概念(観念)に過ぎないんじゃないかなーと思ったり。誰かがこしらえた「ものさし」に過ぎなくて、たまたまソレを人が採用してるだけに過ぎない。ただ現象は変わってくんだけどね。
そんなコトを思ったなぁー。
あーあと、いずみさんの自虐ネタというか(笑)なんというか、あの自分で「可愛くて何が悪い!」とか言うの。誰も言ってへんやん!てヤツね。もーアレは持ちネタだな。つかみとしていいよね、あの可愛い「押し」というのは。誰からも言われないから自分で言ってるて言うけど、そりゃーみんなココロの中では思ってるんですよおー。ただ口に出して言わないだけでさぁー。いずみさんからすれば「言ってよ!!」てコトなんだろうけど(笑)。まー男が言うと空気がへんになりそうなので、いずみさんから催促される前に女性陣がどしどし言いなさい、てコトで。他バージョンとして「可愛いですけど、何か?」や『ご姉弟』のおねいのように「可愛いですが、何か問題でも〜?」とかどうでしょう。どんどんエスカレートさせましょ〜(笑)。
あと5月にツアー、そして夏ごろから次のアルバムレコーディングに入る予定とのコト。年末ぐらいには発売できたらいいな〜とは言ってたけど。曲はあるしね。新しい曲もあるし、ライブアルバムのをちゃんと、ちゃんとて言うのはおかしいけど正式バージョンにするとかもあるし。まぁ、来春ぐらいの感覚で(笑)の〜んびり気長に期待して待つとしましょー。