過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

朝青龍と青木選手と内田樹氏の本。

先週のビッグニュースといえば朝青龍の引退で、ワタクシもケータイでニュースを見てビックリしたと同時に「やっぱりな、、」とも思った。TVでは一般人に危害を加えた等報道してるけど真相は分からない。横綱の品格とかなんとかいう問題もあるだろうけど、ソレは他に任せてワタクシはワタクシの感じたコトを書く。
内田樹氏のサイトに、最近発売したという自著『邪悪なものの鎮め方』のバナーがある。ワタクシはこの本は読んではいないのだけど、書いてある紹介文を見て、この朝青龍の引退ニュースを見た時に「やっぱりな」と思った。というかこの『邪悪なものの鎮め方』というタイトルを目にしてすぐ、DREAMの青木選手の件を連想したので「ああそういうのってやっぱりあるよね」と思ったのだ。別にスピリチュアルなモノではない。だからこのタイトルが頭に残ってての、この報道なのだ。
因果という言葉がある。原「因」と結「果」。結果はちがうけど青木選手もワタクシは共通する「原因」がある、と思ってる。
バナーの紹介文に「礼儀正しさ」「身体感覚」という言葉がある。「礼儀正しさ」はまぁ分かるだろう。礼儀礼節に欠けてる。ソレがいわゆる「横綱の品格」を問われてるというコトなのだから。結局ソレの欠落が積もり積もって今回の引退問題にまで発展してしまった。
やっぱり人は反省するべき時は反省しないといけない。ソコでしっかり反省をしないと後でまた同じような出来事が目の前に現れる。ソレは「試練」というモノであり世の中の「摂理」とも言える。ソレは避けて通ると何度でもやってくる。しかもどんどんコトが大きくなってくる。中には無視していい野次も世間にはある。しかし無視してはならない、避けて通っていけないモノも含まれる。ソレを見抜けるかどうか。ソレが「身体感覚」なのである。自己防衛機能とも言える。
ワタクシは朝青龍と青木選手は、もちろん技術は素晴らしいモノがあるけど、この「邪悪なモノから身を守る・退ける身体感覚」が鈍いと思ってる。両者の共通点といえば、あえて言うならば「悪い意味でのポジティヴシンキング」なのではないか。
青木選手の侮辱行為というのは、廣田選手に対しての敬意を失している。青木選手も試合のために相当な練習を積んで、相当な覚悟を持ってリングに上がってるはずであって、ソレは廣田選手も同じはずなのである。ソレなら「おー、よくこのリングに上がってきたな」「よくオレにボロボロにやられにきたな!ソコはホメてやる」など相手に対して敬意を表する言葉が胸に去来するモノなのだ、本来闘う選手同士というのは。ソコで試合で、良いか悪いかは別にして廣田選手はアレだけの意地を見せた。そのコトに対して敬意を表する、感服する、という気持ちはあってもいい。そもそも相手がいなければ試合そのものが成り立たないのだから。しかし青木選手はああいう形で踏みにじってしまったのだ。しかもその後に反省を促されたモノの反省の色は薄い。コレは後々絶対に引きずっていくモノだとワタクシは思ってる。世の中には避けて通っていいモノといけないモノがあるのだ。前にも書いたけど、コトが大きくなって青木選手の言う「やりたいコトがやれる場所」を失ってからでは遅い。
朝青龍はホントにトントン拍子で横綱にまでなったようにハタから見てて思う。しかも武蔵丸を破って以来長い間1人横綱で相撲界を引っ張ってきた。その功績は今回の問題とは別にして称えるべきだと思う。しかしあまりにとんとん拍子で駆け上がっていったモノだから天狗になってしまったのではないだろうか。看板力士だし、ある意味相撲界を担ってるのだから親方も上から叱るコトができなかったのではないだろうか。
天狗の鼻を折る人の不在。コレは青木選手にも当てはまるコトだ。青木選手もどうもあの試合後のまわりの人たちのインタビュー記事などを読んでると、叱れる人がいなさそうなのだ。ソレはある意味不幸だとも言える。まわりが、ふりかかる邪悪なモノを退けないといけない。コトが大きくならない内に。まわりの責任も大きいのである。そして本人にもそういったコトを教えなければいけない。
ワタクシは今では古いと言われてるモノでも欠いてはいけないモノてある思う。そのうちの1つが礼儀礼節とかそういうモノだ。なんとなく現在はそういう昔から言われてるモノは意識的に捨ててるような気がする。しかしそういうモノは1000年単位の歴史がある。もっと言えば自然への畏怖とか謙虚さというのは昔の人の身体感覚で、自分にふりかかる邪悪なモノに対しての人間のせめてもの防衛本能だと思うのだ。コレを失すると招いてしまうから、こういう振るまいをする。そのための防御対策。そういう行為は言語以前の人類史が始まってからの何万年、という歴史があると思う。そういうモノは何かワケがあって言い伝えられたり受け継がれたりしてるのだから、必要以上に、過剰にソレをやる必要もないけど、簡単に手放してはいけないと思う。
ソレと朝青龍に限らず、常人以上の力のある人はその力を持つと同時にその力を自制できる術を持たないといけない。刀を持つモノは安易に刀を抜いてはいけないのだ。人をたやすく殺せる刀を持っているからこそ自分の意思をコントロールできないといけない。常人以上に自分を制する・律するという能力が必要になるのだ。