安らかに眠ってください。
いずみさんの愛猫であり相棒のりょくさん(♀)が天に召された、と昨日知りました。
いずみさんのアルバム『一瞬の〜』の感想の時にチラと書いたように、りょくさんはガンを患っておりました。でもいずみさんの愛情と看病により、1日でも長くがんばって生きてくれたように思います。もしかしたら先月生まれた次女のひかるちゃんがまだお腹にいる途中で、、というコトも十分考えられたコトであって、ソレはソレでまたいずみさんにとってはストレスフルなコトであったでしょうけど、でもひかるちゃんが無事生まれたのを見届けてから旅立った、、なんていずみさん想いの猫ちゃんだったのだろうか、と考えております。
ブログの写真を見ると、たぶんりょくさんはまだひかるちゃんという存在をよく分かってない、とまどったような感じで、距離を置いて様子を窺ってる、そんな風に見受けられましたが、今は全て理解してるのでしょうね。
今年は「死」について考えるコトが多い年でした。現代の日本人はある意味「死」というモノを遠ざけて生きてきましたが、3・11でやはり命というのは、形あるモノは有限なんだと改めて分からされました。たしかに悲しい出来事で、どんな言葉を尽くしても「今まで側にいた存在がいない」という現実には勝てません。理屈じゃないのですから、言葉じゃどうにもなりません。きっと頭では分かってても、自分でもどうにもならないような感情が湧き上がるでしょう。かといって時間が解決してくれる問題でもなく、きっと「忘れない」限り、いくらか角が丸まったりはすれど、その「穴」は「穴」として、生きる限り抱え続けなければならないのカモしれません。他のモノでは埋められません。思い出すたびにその「穴」の存在に気づき、苦しむでしょう。
死というのは避けられません。しかし、その動かしがたい現実を受け入れ、残された者が今後の自分の人生にどのように生かしていくか、考えるか。ソレが大事で、そのコトが旅立った者が残してくれた最後のメッセージだと思います。
ワタクシはいずみさんのブログでしか知りませんが、りょくさんと真里亜ちゃんひかるちゃんを通して、命と生や死についていろいろと考えさせられました。ワタクシにとっても大事なコトだったように思えます。
りょくさんへ。コレからも榊家を見守っていてください。