ストリアツム。
で、今度はまた別の無料情報誌を眺めてたら「直感」について書いてあった。う〜ん、コレも何たる符合!と思いつつ読んでみると、直感というのは閃き(ひらめき)と同じ類のモノらしい。両者の違いは「なぜそうなったか、理由を後から説明できるかどうか」なんだそう。たしかにそうカモしんない。
直感というのは初っ端(しょっぱな)でしょう。「気」というか。「気配」に近いよね。対してひらめきというのは、考えに考えを重ねたあげくもういいかげん疲れて「ヤメー!」なんつって、風呂とか入って小休止してると急にブワっと閃く、とかね。コレはやっぱり情報量の差なんだと思うんだけどなぁー。
直感てのは、自分の頭の過去情報のいくつ(3つとか5つとか少ない情報量というイメージ)かを無意識的に引っ張り出して対象に照らし合わせて「こうだろう」ていう予測だと思うんだよな。初対面の人を「この人はこういう感じ」と、自分の知ってるモノ(=過去情報)に当てはめるとか。閃きも情報の蓄積によるモノだけど、この情報てのは自分が意識的に取りこんだモノもあるからね。無意識的な情報もあるんだろうけど、意識的な情報の方が多いと思うな。そういう断片的でつながりの無い情報同士が、ある時風呂なんかに入ってるとバチバチっとつながる。ワタクシは直感=無意識的、閃き=意識的という感覚。閃き=論理、直感=非論理て感じだな。
ストリアツムというのは無意識の運動を司る脳の部位なんだそうだ。
将棋の羽生さんのコトが書いてるんだけど、将棋の場合は間違いもクソもなく全てがありえる手なんだから、情報として「正しい」。正しい情報の蓄積。だからソレから導き出される直感にしろ閃きにしろソレは「正しい」んだろうけど、蓄積された情報の中に「単なる自分の思いこみ・勘違い」とか「対象について情報不足」だとか異物があると、ソコから導き出される直感や閃きは「間違い」「正しくない」直感や閃きになってしまうんだと思う。ソレが16日に書いたコトね。推測の推測になっちゃうからね。前の推測が間違ってると、推測の推測はさらに間違ってるという。
でも間違ってても例えば何かアイデアを出したい!て時はいいんだよな。例え間違ってる、自分の思いこみでしかない情報の蓄積だとしても、ソコから何か新しいアイデアが産まれさえすれば、ソレはソレでいい。人の判断にしろ初めに抱いてた印象と違っても「ホントはこんな面白い人だったんだー」とかだったらいいしね。思ってたより悪人だったぁー、てのはヤだけどさ(笑)。
やっぱその点で言えば動物の方が直感は優れてるんだろうね。人の方がフクザツだし、精神的なモノとか行動は。人より彼らのほうがシンプルでしょ。だから推測もしやすいんだよ。もちろん文明によって能力が鈍くなったというのもあるだろうけど。その代わり彼らには閃きは無いな。「気配」とかせいぜい直感までだろうね。
このストリツアムと前頭葉の2ヶ所は大人になっても大きくなり続けるんだって。へぇ〜て思ったけど、でも納得。前頭葉は言語を司る部位だし、ストリツアムは直感・閃き。両方とも「情報の蓄積」だからね。言葉は歳をとればとるほど頭の中で自分の言いたいコトが翻訳しやすくなるし、ソレも元を辿ればボキャブラリーが増えるからというコトだし、会話をすればするほど会話能力も長けてくるし。閃きも意識的に回数を多くするコトができるんだよ。何でも興味の赴(おもむ)くままに情報を取り入れて閃いて、ていうのを繰り返すとだんだん閃きのスパンがせまくなる。イコール回数が増えるてコト。訓練(というほどのモノでもないけど)次第で鍛えるコトができる。