「思考は現実化する」について。
ああー、ほぼ日の『今日のダーリン』で糸井さんが、たぶんタイトルのようなコトを言ってる。てかワタクシが勝手に最近思ってるコトと結びついただけだけども。
よく言う。想い(思い)は実現するとかなんとか。そういうタイトルの本もビジネス書とか精神世界本とかでよく見かける。そういう本の話ではなくて、ワタクシが勝手に最近思ったコトなんだけども、結局コレて簡単に言えば「暗示」なんですよ。自己暗示。
自分が頭で考えたコトて、その思いや考えの強弱にもよるけど、たとえば強く頭の中で繰り返し考えてると、言い方悪いけど自分がそのコトに支配されるというか、ようは自分を暗示にかけてるというか、そういう状態になるワケだ。分かりやすい言葉で言えば「言霊」というかね、自分が考えた言葉に自分が影響を受ける。そしてその思いが強ければ、自分の行動にも出てくる(無意識的にも)だろうし、まわりの人にも影響を与える。コレは良くも悪くもだよ。コレがワタクシなりの「思考の現実化」なんだよ。思えばポンと出てくるような、手品みたいなコトではなく。
そして『今日のダーリン』を読んで、コレはワタクシが↓に書いたような「ひみつほごほー」みたいな陰謀論みたいなコトとかさ、こういう陰謀論的な話てみんなが思えば、そういう方向に世の中が傾いてく、進んでくていう可能性もありえるワケだよな。ただコレはあんまし良くはない方向。言葉てそういう怖さもある。でも逆に、たとえば今の総理に変わって「景気がよくなる」なんて去年の年末とか言ってたけど、アレも暗示だよな。ようするに「気分」の問題だからね。みんながそういう気分になれば、実体がないとしても、今現在、なんとなく雰囲気だけは景気がいいような感じはするでしょ?コレだって「思考の現実化」だよ。
たとえば神様がホントにいるのかどうかは誰にも分からないけど、いるとした方が何かと都合が良いワケだ。なにか説明がつかない原因がわからない、、コレは神様のしわざだ!きっと運命にちがいない!などなど。天国とか地獄も同じ理屈。実際にあるかどうかは誰にも分からない。でも子供に諭す時に「悪いコトしたら地獄に落ちるんだよ」と言った方がアレコレ言うよりラクだし便利。「死んだら天国に行く」というコトにした方が救われる場合もある。「あの世がある」とした方が、死んでも終わりじゃないというコトで、生きるのがラクになる場合がある。だから信仰というのは自己暗示とも言える。その人にとっての神様がいれば、ソレはその人にとっては「いる」コトになるのだし、ソレで役割としては十分機能してる。あくまで主観的なモノなんだよ。だから他人がいくら「神様なんていない」と言ってもソレは意味が無い。神様を信じてる人には「神様はいる」のだろうし。信じてない人には「神様はいない」のだろうし。でもほとんどの日本人は、イザという時に神頼みをする(笑)。
目に見えるモノばかりが「ある」モノではなく、目に見えないモノでも「ある」と思えば「ある」。オカルト的な意味ではなく。
どうせ自分に暗示かけるんだったら、良いほうに暗示かけた方が心穏やかに生きられるというのはある。