ピント。
人て案外モノを見ていない。ホトンドが印象か思いこみだ。眼球は光を捕えて脳に像を映し出してる。が、人の自意識は興味があるモノにしかピントが合わない。ピントに合った箇所以外もなんとなくは記憶は残っているし、風景として脳に記憶は刻まれてはいるけれども、その記憶を容易に取り出せるかどうかはその人次第。
こうでもしないとあっちゅーまに人の脳力(造語。脳の能力の意)がオーバーヒートを起こすんだと思う。全部が全部、見たモノをまるまる詳細まで覚えてたら、耳からモクモク煙が出てくるんじゃねぇか?みたいな(笑)PCみたいに容量が有限だから、情報をいらない部分はいらないで保持しておくコトは保持しておく。情報の最適化(圧縮)をすでに脳はしてるんだと思うし、またそうしなければ脳がパンクしてしまう。
結局は右脳と左脳。右脳は視界に広がる世界を写真を撮るかのように見たまんまを記憶し、左脳は興味がある部分にピントを合わせる。「興味」というのは何かしらの意味付けがなされてるワケである。右脳だけでモノゴトを見てたらこの世界はナントモぺったんこで何事もフラットな、抑揚のない世界である。何の意味付けもなされないワケだから何事にも感情移入はない。ソレとは逆に好奇心。左脳を呼び起こすコトによって何でもないぺったんこな世界に意味が付け加えられる。人生に彩りが加えられる。その意味付けスイッチは人によって様々だ。
どうしようもない不安に陥ったりするというのは、たぶんモノゴトをある一面でしか捕えられないでいる。いっぱいいっぱいで動けるスペース(余裕)がない。脳の筋肉がパンプアップしている。今にも割れそな風船だ。そういう時に余裕を持つにはどうしたらいいか?
作り笑いでもいいからムリヤリ笑ってみる。たぶんヘンテコな笑顔になるだろうけどソレでもいいからやる。そうするコトで顔の筋肉が緊張状態からほぐれる。脳の筋肉もほぐれる。血のめぐりが活発になり、より脳に酸素が運び込まれるようになる。スポーツ選手でも良く言われてるコトらしい。笑うコトで緊張状態の筋肉が弛緩する。柔軟。人間柔らかくないとモノゴトも柔らかく考えられない。一面しか考えられない。いくらかでも余裕ができれば、別の角度からモノゴトに対して見る視点を獲得するコトができる。回りこむコトができる。ココまでくれば、あとはモノゴトに対して冷静に分析・判断ができるようになる。
「ある一面」から「全体像」。違う視点からモノゴトを見るコトで、そのモノゴトの全体や、また別の意味付けがなされていく。別の意味付けがなされた時、不安要素はもう不安要素でなくなっている、場合もある。新たに情報が上書きされたワケだ。すぐその上書きされた情報もくっ付いて引っ張り出されるので、不安が軽減される。または不安でなくなる。初めは作り笑顔だったけれども、やがて本当の笑顔になる。
いろんなトコにピントを合わせてみる価値はあると思う。断片的にしかモノゴトを捕えられない人は確実に損をしていると思う(もちろんワタクシも含めて)。しなくていい誤解をするコトになる。ソレは不幸なコト。でも自分じゃなかなかできないから、他人の視点・考えを聞いたり本などからソレを得るコトもできる。そうして自分の意味付けスイッチを押されていく。意味付けスイッチを押されて(または自分で押して)情報を更新し、最適化していくのは、たぶん人が「幸福」と思えるコトの1つなんだと思う。少なくともワタクシはそうだ。
たぶん唯一、人だけがこういうコトをする動物。何でこんなコトをするのか?という疑問。ワタクシはたぶんコレが答え(もしくは1つの到達点)というのを知っているが、ソレはみなさん各自で考えされたし。